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休職期間に入りました

妊娠8ヶ月もラストスパートというところで、産休に入りました。案外すんなりと休職できてしまい、チームメンバーには感謝です。

仕事は10年弱続けました。一年半ほどの休職期間を頂く予定ですが、ぶっちゃけその後の働き方は未定です。
私、仕事が本当にストレスで、休職を夢見ておりました。よくぞ耐え抜いた!私!!!褒めて遣わす。

何がストレスって、楽しいと思ったことが1秒たりとも無かったということですな。たぶん、自分の思考が勿体無い考え方をしてしまうのかもです。
だからと言って全て暗黒期だったかというと、そうではないです。振り返ると、やり甲斐というものは、結構感じていたように思います。

学生時代のバイトもけっこう頑張りました。6年間あったのでいろんなバイトをしたけども、どれもすごくやり甲斐を感じていて、バイト時間中はキツくても、すぐにその経験をとても良かったものに変換して大事にしてたと思います。

が、仕事はなかなかそう上手く変換できませんでした。バイトの時よりも、地道で、泥臭くて、成果の反応が掴みにくいものだったからだと思います。

特に、目前の仕事は、「人に動いてもらう」がメインでした。私はそれがかなり苦手でした。新人の頃は、社会人てコミュ力なさ過ぎだなってすごく思ってました。なんせ言わないと何にも動いてくれないし(言ってもやってくれないことも多々)、もんのっすごく縦社会…。「契約」が業務量を増やしてしまっているのにイライライラ…。あーー、ぜんぶ、「いい感じにやってー」の一言で終わらせたいっと何度思ったかわかりません。

この調整屋さんとしてのストレスがずーーーっとある中、それでも人を頼って、協力してもらってなんとか業務を進め、勤務し続けることができました。

あと、私の素晴らしい長所として、「頑張り過ぎない」というのがあります。そこが自分の中では続けてこられた一番の秘訣だと思います。

休職前の挨拶の中で、担当が私だったからプロジェクトが無事に完遂できたと言ってもらえたことがありました。それが私としては結構嬉しかったです。その方とは、3年間耐え抜いたプロジェクトがありまして、私のユルサに救われたとのこと。
仕事としていいのか?ってのはありますが…高いプレッシャーの中で高度な業務に当たってもらうのが嫌で、のびのび環境で対応してもらいたく、そういえば色々と気を遣ったなぁと思い出します。その代わり、私も沢山その方には甘えてお世話になりました。

ま、逆にこの私の性格と合わない人もいましたが、それはもう仕方ないって言葉で納めて、大迷惑な被害妄想をされたり嫌味をいくら言われても無視して流すようにすることにしました。これが大人ってやつだわと自分に言い聞かせてます。

あと、近年は、自分の業務を引きでみて、成果を感じられたりする時もありました。大きい業界の中のこんまい業務ではあるけども、社会を支える支柱の一本にはなっていそうです。そんなこんなで、より良い社会影響が出るものを…という目線で仕事をしてました。きっとこれはこの業界の人の殆どがそう思ってるだろうことなので、そう思うと社会って優しさでできてるなって思います(大袈裟)。

目前のストレスはあるけども、大きな目標達成のためにみんな頑張っている!!!

ありがとう!社会!!
私はしばし、自分の身体(というかその中身)を労ります。

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