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無職7日目、交友関係が広がったら母親にTwitterアカバレした話

無職になってから、褒められることが増えた。

完全に想定外のことだが、無職になったことで自由なアウトプットができるようになってからというもの、無職のくせに交友関係が広くなり、無職のくせに様々な方からお声をかけていただくことが多くなった。

いくつになっても、無職になっても、褒められるのはやっぱり嬉しい。
人の意見に惑わされるのはよくないとはわかりつつも、自己肯定感がグングン上がる。

少し前まで職場に考慮してTwitterを非公開にしていたということもあって、こうして日々多くの方と出会って開かれた環境で交流できるのは純粋に楽しいし、世界はやっぱり広いんだと実感する。
久しぶりに大好きな「インターネットらしいインターネット」ができているような気がする。

無職だけど、人生楽しいって思った。

母親からTwitter上でいいねされるまでは。

ここまで300字ほど、ちょっといい話風に書き進めてきたが、今私の心中はそれどころではない。

母親にTwitterアカバレするなんて、そんなこと自分に起きるなんて思いもしなかったよ!?

たしかに、たしかにだ。
私は一カ月ほどまえに母にTwitterの使い方を教えた。

順調に使いこなし、中学生から同年代まで幅広いフォロワーを得た母は、最近ではフォロワーと英語でやりとりをするほどの目まぐるしい成長を見せている。(英語の勉強も始めたらしく、ノートに英文を書きまくっている)

60代の母親がTwitterをはじめとするインターネットを使って、新たな人生の楽しみを見つける姿は微笑ましくも感心するばかりで、これは勝機かもしれないと、高齢者向けのインターネット活用講座でも始めようかしら、なんて思っていたほどだ。

だがしかし、想定以上に母は成長していた。

私のあだ名「のちこ」やアイコンは既に知っていたので、見つけようと思えば簡単に私のTwitterアカウントを見つけられるのだろうが、いやまさかよもやまさか1か月で探されるとは。

しかも何が怖いかと言うと、私と母は同居しているのにもかかわらず、今現在も「Twitter見たよ」等の声かけが一切ないことだ。

言ってくれれば、「もう~お母さんったら~恥ずかしいじゃん~」みたいな会話ができるのだが、全くない。な~んにもない。

Twitterを見られてどうのということはないにはないが、とんでもなく気恥ずかしい。

親に裸は見せられるけど、Twitterは見せたくない。

謎理論だと思われる方もいるだろうが、まさしくそんな気分だ。

「世界は広いけど、世間は狭い。」
母親にTwitterを教えた私が、逆に母親から、そんな格言めいたことを教えられたような気がしている。

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