ケニアで見た初めての世界『キベラスラム』『マゴソスクール』
つい最近までルワンダ、ケニアと渡航していて
色んな世界、景色、人々と出会ってきた。
その中でも印象的だった
ケニアにある東アフリカ最大のスラム『キベラスラム』
そしてそのスラムの中にある
『マゴソスクール』
について私が見てきた範囲にはなりますが、伝えたいです。
1日しか訪れていないし、キベラのほんの一部の地域を歩いただけです。まだ私の知らない事も多いと思いますが、その中で伝えられることを少しでもと思いました。
キベラスラムには
ケニアに30年ほど住んでいらっしゃり
日本人で初めてマサイ族の第二婦人になられた永松真紀さんに案内をしていただいた。警官2人つけて安全に回ってきました。
1 キベラスラムの現状
2 この場所で生きてる人の姿
3 マゴソスクールの希望
こんなところで伝えていきます。
キベラスラムの現状
基本スラム街で写真は撮れず、
スラムを見渡せる高いところから撮った写真。
ずっと奥まで広がっている。
キベラは政府からも認可されておらず社会から分断されている場所
ここは
ナイロビの発展している市街地からは分断された世界だ。
隣には娯楽施設であるゴルフ場があり、周りはビルやショッピングモールが立ち並んでいる。
そのすぐ隣にスラム街があり
その日暮らしで生きている人たちがたくさんいる状況だ。
正直ナイロビの酷い格差には驚いた。
たった2.5km四方の土地に
推定100万人以上が、暮らしているとされている。
写真から見える一つの長屋に6.7家庭が押し込まれている状況である。
政府からは不当滞在地区という認識になっており、近年から強制撤去が始まっているそうで、スラムの人たちは住む場所をだんだん失っている状況らしい。
ここには様々なバックグラウンドを持った人が暮らしてるそう。
大抵が農村の地域で生まれ育ったあと、出稼ぎのためにスラムに住むようになった人が多いようだ。
農村だと、自給自足の生活ができるようになり
生活費もほぼかからない。
しかし、教育費(制服代とか文房具代)などで
お金が必要になり、農村では勿論お金を稼ぐことができず、都市に出てくる必要がある。
となると行き先はスラム街しかなくなる。
都市に出てきたけどお金がない。住むところがない。そうやってここにたどり着いた人が多いようだ。
キベラスラムに住んでる人たちは
ほぼ家賃を払わなきゃいけない。なんとここで不動産のビジネスをしている人がいる。
キベラスラムの中でも状況は様々だ。
私が家庭訪問したところはその中でもギリギリの生活をしている家庭だった。
たったの6畳半で家族4.5人暮らし。
明かりはない。雨が降ったら水浸し、正直人が住めると思えない家もある。こんな場所に家賃2500円は高すぎると思った。
200世帯突っ込まれてるようなあり得ない長屋の団地に、トイレとシャワーが4つしかない。
スラムで生活するともちろん家賃以外にもお金がかかる。水を買う、炭を買う、電気を引く、、、。
これまでいわゆる途上国、農村部は見てきたけど、私はこの世界は初めて見た。
毎日1ドル未満の収入だ。2500円の家賃を払うことで精一杯。明日が来るのかも不安な日々なのではないか。
家庭の問題
家が悲惨な状況すぎて、レスキューされた子供たちも多い。マゴソスクールで出会った。
この貧困な状況で
父親は何処かへ消えてしまった。
お母さんも子供何人も産みながら、育児放棄。
子どもたちは痩せ細り、病気にかかり、ついに自分の汚物を口に入れるしかなくなる。
家庭内暴力
アルコール中毒
マリファナなどの薬
HIV
狂ってしまった人は多いと現地の人が言っていた。
胸が苦しくなった。
生まれる場所が違かった。たったそれだけの違いで
人の人生は本当に様々である。
その国の、その町の、その家族の、その人の幸せがある。
日常がある。別に日本に生まれたことが正解じゃない。アフリカに生まれたことが不正解でもなんでもない。
でも、さすがに見ていられない現状もスラムにはある。
それは忘れられないことでした。
けどね
キベラはすごく活気で溢れていた
2 この場所で生きてる人の姿
多くの人がここで商売してる!
多くの人が行き交っていて、賑やかだ。
みんな使えなくなったものを再利用して、使えるようにして売ったり、頭を使いながら生きている。
上に書いたのも一部の状況である。
スラムには美容院もある!アフリカの人は髪の毛いじるのが本当に好きみたい!笑
シアタールームもある!
八百屋さん、美味しそうなおやつを売ってるところ、
ここで暮らす人の姿をたった数時間しか見ていないけど
そこから何か悲壮感は感じなかった。
ここがふるさとの人がいる。ここが居場所の人がいる。ただそれだけだ。
子どもたちが、
駆けっこしている姿、友だちとおしゃべりしてる姿。微笑ましかった。
私がキベラスラムを訪れて、一番エネルギーが湧いたのは『マゴソスクール』を訪れた時だった。
3 マゴソスクールの希望
このキベラスラム生まれの女性と日本人の早川千晶さんが共に立ち上げたマゴソスクールがスラムの中にある。
理事のリリアンさんにお会いした。
この学校には生徒が500人も!
色々なバックグラウンドを持った生徒が多いようで
一種のレスキューセンターのような場所にもなっているようだ。
寮もあって、家に帰れる状態じゃない家庭の子はここで暮らしている。
生徒の話を少し聞いたが想像を絶する家庭も多いようだった。
全校生徒で突然やってきた私たちに向けて歌を披露してくれた。
小学1年生の子から中学3年生の子まで一緒に。
それを聞いた瞬間涙が止まらなくなった。
どうにも私は抑えることができなかった。
この学校には悲しみも憎しみもそんなもん一切なくて、
本当に希望と暖かさが詰まった場所だった。
子どもたちが心から楽しんで幸せそうに歌って踊る姿を見て
なんてところだろうマゴソスクールは。と思った。
正直、こんな時間が、こんな場所が、そんな子どもたちが
このスラムにいるなんて到底思っていなかった。偏見の塊やった。
この学校には辛い経験をして心の傷を負っている子どもたちも多いようだ。
しかし、友達と歌を歌って、踊って、少しずつ傷を癒していく。
この学校で私生きていいんだって。ここに私の居場所があるんだと。
明日を生きていくのが難しい家族も子どもたちがキベラスラムに多いのは事実である。
しかしマゴソスクールがあることが、
彼らの人生を少しずつ変えていく、未来を少しずつ変えていく。
下を向いて生きている人たちが前を向いていく。
この日本から離れたケニアという土地で
スラムの子どもたちに安心と安全と希望を与えることができるマゴソスクールは今日も笑顔で溢れているのだろう。
そんな素晴らしい場所を作り、守ってきた方々は本当にすごい。もう25年の歴史があるそうだ。
日本に生まれた私たちは
スラムで暮らすような人の生活や人生を歩むことはまずない。
日本にも貧困の現状は深刻と言われている。
しかし正直あまりにも状況は違いすぎる。
人間どこに生まれるかは、所詮、運だ。
【高貴なる義務】という言葉がある。
noblesse oblige ノブレス・オブリージュ
この言葉の捉え方は様々だが
私はやはり恵まれた人が、他者に力を差し伸べること、思いやり行動することはこの地球において大切だと素直に思った。
日本にいる私たちに
何ができるだろう。方法は沢山ある。
本当にその人たちのために人生捧げるなら
覚悟と想いと力が必要だ。所謂’国際協力’をするならば。
ルワンダで国際協力を仕事にしている人とお会いしてすごく感じた。
このキベラスラムに訪れながら
こんな素敵な場所を作れる人、子どもたちの未来に希望という光をさせる人をもっと増やしたいと思った。
私の役割はそうであるように頑張りたい。
終わり
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P.s
マゴソスクールの給食の時間!
ご飯配られるのを待つ子どもたちがすごく可愛かった!泣