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葬儀のコツ

「葬儀にもコツってものがあるんですかね」

 妻の葬儀が終わった後、葬儀会館で僕は義父に訊いた。僕も義父も、パイプ椅子に腰掛けていた。間違いなくその場に相応しくない問いだった。
 義父は異常者を見る目で一瞬僕を眺めたが、すぐに愁嘆場ゆえの混乱から出たものと考えたか、優しい表情に戻って答えた。

「そりゃああるんじゃないかな。私もまだ父といろはの葬儀しか出していないから、コツと言えるほどのものは掴めていないが」

 いろはというのは僕の妻であり、義父の娘の名前だ。まだ三十四歳なのに骨髄炎からきた腫瘍で亡くなってしまった。そろそろ子供を作ろうかと話していた矢先のことだった。
 亡くなる少し前あたりから、徐々に僕は自分の体から緩やかに空気が抜けていくような気がしていた。今はすっかり抜け切って、中に何もない状態だ。それが間違いなくこの無感情の原因だ。

 これが葬儀の当日の僕の様子で、翌日、翌々日とさらに体から空気は抜けていった。そして奇妙にも、この自分から発した「葬儀のコツ」という言葉が頭に残って、離れなくなった。

 忌引きが明け、出社し、上司や同僚から気遣われながらも、僕は「葬儀のコツ」というやつをずっと考えていた。
 果たしてどんなものなのだろう。何件ぐらい葬儀をこなせば身につくのだろう。もちろん葬儀社の社員などに訊けば何かしら教えてもらえるのだろうけれど、それは違うのだ。運営側の秘訣など知りたいわけではない(それは例えば、棺桶の迅速な手配とか、坊主を値切る方法とか、いやらしくなりすぎない品の良い司会進行の仕方とか、いろいろあるのだろうけれど)。知りたいのは遺族としてのコツだ。

 もっと言えば、身内や友人の死を乗り切るコツを知りたいのでもない。あの「葬儀」という、形式的で、中途半端で、感情の持っていきどころがあやふやな儀式を適切に執り行うコツというものは、あるのだろうか。妻の大学時代の友人のように滂沱の涙を流すでもなく、妻の上司のようにいつ終わるのか気にして繰り返し時計を見るのでもなく。

 数をこなすしかないのだろうが、どれだけ頻繁に身内が死ぬ人であっても、せいぜい片手で数えられるくらいしか直接の遺族として葬儀に関わることはないのではなかろうか。なら、コツなど掴む前に自分が死んでしまう気がする。
 そう考える間も確実に体から空気は抜けていっていた。

 二ヶ月ほどが経ち、本当に体内に空気がなくなってしまい、家に帰っても何もせずに電子レンジで温めたご飯と沢庵だけを食べて眠る生活をしていた僕は、ようやく、だったら試みにやってみればいいじゃないか、葬儀を、ということに思い至った。

 ベッドから飛び起きた僕は、パソコンを開き、自分の身内を順にあげていく。父、母、兄、義父、義母、義弟。身近で関わりそうなのはこの辺りだろうか。僕は一人一人の葬儀の計画を、綿密に立てていった。

 どんな理由で死ぬか。病死、事故死がほとんどだろう。自殺もいるかもしれない。他殺もないとは言えない。それぞれいくらぐらい金をかけるか。自分の両親には出来る限りのことはしてやりたいが、今回の妻の葬儀で想像以上に飛んで行ったから、次はもう少し賢くやれるかもしれない。
 日取り、時間、場所、状況をそれぞれきっちり想定し、誰が来て誰が来ないか、自分はどんな立場で関わるかまで綿密に考えた。その上で、僕は一つ一つの葬儀を、丁寧に部屋で実行していった。

 手元にある列席想定者の写真をプリンタで出力して切り抜き、割り箸に貼り付けて立てる。部屋には大勢の弔問客が並んだ。花はないので、大きめのポストイットに自分で花の絵を描いて飾った。お経はYouTubeに上がっているやつを流しておく。クリーニング店のヴィニル袋から喪服を取り出し、着込む。まず兄の葬儀から始めた。

 続いて父、母(兄を優先したのは、両親の葬儀で僕が喪主になるためだ)。一手間も抜かず、再現する。腹が減ってきたらコンビニに行って菓子パンを買ってきて齧った。一人一人が死んだときの気持ちを想像した。意外なことに、両親よりも兄が死んだことを想像する方が悲しく、涙も出た。親の葬儀は普段から起こりうることとして想像しているからかもしれない。

 そして、部屋で一人で葬儀を繰り返し執り行いながら、気をつけていたのはやはりコツのことだった。受け流すでもなく、受け止め過ぎるのでもなく。死を悼む。死者のことを思う。過度に苦しまず、かといって無感情にもならず。そのバランスを、間違えないように計っていく。

 それはちょうど、料理に似ているかもしれない。目の前にある素材を、誤らず適切に調理し、自分の体内に摂り入れていく。味付けをしすぎたり、逆に生焼けのままで食べたりするとよくない。同じようなものだ。他人の死をうまく食べられないと、体が不調を起こす。僕はそのせいで、体からどんどん空気が抜けていったのだろう。

 義父、義母の葬儀まで済ませたあたりで、僕の心はずいぶん状態がよくなっていた。その頃には部屋の中は付箋の花と、人の写真の切り抜きと、割り箸があちこちに散乱していて、しかも二日ほど無断欠勤した後だったが、しかし気持ちは穏やかになりつつあった。抜けた空気はまだ戻っては来なかったが、とりあえずの生活は営めそうだった。

 上司には叱られるだろうと思っていたが、幸運にも心配されるだけで済んだ。欠勤はうまく処理しておくから、もう何日か休んだ方がいい、と言われ、さらに産業医とかいう、会社と繋がりのある医者も紹介された。精神状態を危惧されたのだろう。自分が彼の立場でもそうする。

 産業医はアンケート用紙か何かを見ながら通り一遍の質問をしてきたので、ほどほどに答えておいた。心理学だか精神医学だかの教科書を読み上げるような「死の受け止め方」の話を聞かされた。通り一遍で特段得るものはない診察だったが、雑談の中で死者について、興味深い話を教えてくれた。

「今まで大勢、近親者の方が亡くなって苦しんでいる方を診察してきましたけれど、おおよそ二通りに分かれるんですよ。死者がいなくなる方と、死者に取り憑かれる方です。生前よりも亡くなった方の存在感が減じる方と、増す方と言ってもいいかもしれない」

「それってやっぱり、生前の関わり合い方の問題なんですか? 親しかったら存在感がなくなって寂しくなるとか」

「いやぁ、そこじゃないんですよ。不思議と。大切だったはずのお子さんの顔が思い出せなくなってくる、という方もいたし、縁が薄かったはずの親御さんが今でも家にいるような気がする、という方もいる。たぶんなんですが、死の受け止め方の問題じゃないですかね」

 医師は穏やかに話した。僕は少し身を乗り出す。

「それって、葬儀のやり方とは関係ありますかね」

「葬儀? どうだろう。訊いたことないな。どういう意味です」

 そこで僕は、葬儀をやるにあたって、適切なコツがあるのではないか、という最近の考えを、あくまで疑われない程度に医師に話した。医師は興味深そうに僕の話を聞いていた。

「なるほど。そのコツを掴めていれば、奥様の葬儀でももう少し違ったのではないかという後悔が」

「いえ、そういうことではなくて」

 またしても精神分析だかなんだかに持ち込まれそうになったので、僕は首を振る。そもそも、妻の葬儀は一生に一度だけだ。コツを掴んだ状態で行うなど出来るはずもない。

「あ」

 そこまで考えて、僕は間の抜けた声を上げた。医師は訝しむ。

「なんです」

「いえ。なんでもないです」

 僕は首を振って小さく笑った。

 帰宅してから僕は準備を始めた。なんのことはない。妻の葬儀でコツを掴めないままだったことが問題だったのなら、もう一度妻の葬儀をやり直せばいいだけの話だ。
 ただ、今までのような親や兄の偽葬儀と同じわけにはいかない。言ってみれば、今までやっていたのは妻の葬儀でコツを掴むためのリハーサルのようなものだ。僕はこれまでのノウハウを改めて整理し、納得のいく手順を考え、再び妻の葬儀の準備を始めた。

 必ず呼ばなければいけない人間には実際に連絡をし、どれだけ驚かれようと気にせず会場を伝える。会場といっても前の大きな葬儀場ではない。この、僕のマンションの部屋だ。場所はここでたくさんだ。来てくれない人、僕の正気を疑った人は、先と同じように紙と割り箸で作った札を代理にする。坊主は実際に呼ぶことにした。金さえ出せば、これはいかようにもなる。

 言うまでもなく、義父にも電話をかけた。義父は酷く怒っていた。

「君のやっていることはいろはに対する冒涜だぞ。なぜ一度休んだ者を起こすような真似をするんだ」

「いえ、お義父さん。違うんです。休んでいないんですよ。だからきちんと、休んでもらわないといけないのです」

 結局、話は噛み合わなかった。僕のうちにある遺骨を返してもらいたい、とまで言い出したので、僕は電話を切った。
 そして当日、僕は二度目の妻の葬儀の喪主として、家で一人喪服を着て、弔問客の来訪を待った。家の中は、今の僕にできる限りの適切な葬儀の体裁を整えてある。坊主さえ来てくれれば、あとはもう、僕がうまくやるだけのことだ。
 僕はただ、玄関先で目の前のドアが開く時を待っている。果たして誰が来てくれるのかもわからない。誰も来ないかもしれない。いや、そもそも坊主だって本当に来てくれるかはわからない。もしかしたら今度は義父すらも来てくれず、僕は一人で妻の葬儀の支度をしたままなにもできず、こうして人を待つことしかできないのかもしれない。

 だがそれでも今度はきっと大丈夫なのだ。僕はもう、葬儀のコツをつかんでいる。その確信がある。この後始まる葬儀は間違いなく極めて適切なものになる。だから今の僕には一点の不安もない。幸いにも。

 次の瞬間にもチャイムの音が鳴り、やってくるかもしれない弔問客を果てしなく待ち続けながら、今こそようやく、僕は妻の死を受け入れられる気がしていた。もしかすると今だけ、ドアが開くまでのこのわずかな時間だけのことかもしれないが、それでも。

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