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私が私を扱うように、他人が私を扱う

ココのところLINEで、恋愛や夫婦関係のご質問を立て続けにいただいています。

ああ、なんでこんな苦しいことをやってるんやろうね〜・・・

依存体質の関係をみていると、ついそんな言葉が出てきます。

自分の中のパートナーシップが
ボッロボロ…

そりゃー、恋人にしても夫婦にしても、
うまくいかんわなって思う。


だって、自分で自分を大切に扱ってないのだから、他人だって同じように大切に扱ってくれないよね。


自分と自分のパートナーシップがうまく巡っていたら、現実のパートナーシップでも豊かな愛の循環が巡ります♡


今日は、三女がお熱で家にいるので、動画ではなくblogに書いていきます。


捨てられるとか、捨てられたとか

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私個人の感覚の話をすると、「捨てられる」「捨てられた」っていうワードは、奴隷が使うワードだと思ってます。


これって結構
人によっては衝撃的かもしれないし

「そんなことない!失礼なことを言うな!」
って言う人もいるのかもしれないけど

「捨てられた」というワードを使うこと自体が、自分に対してすっごく失礼ですよ。


だって
自ら選んで奴隷になっているのですから。


捨てられたとは

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「捨てられた」ということについて考えてみよう。

「捨てられた」っていう言葉を、どんな時に使いたくなるのかというと、これは一つの例にすぎませんが

散々尽くしてきたのに、急に捨てられた
→見返りは?報いは?もらってないけど?私の時間を返してよー!

とか

今まで我慢していうことを聞いてきたのに、急に見放された
→私のあの我慢はなんだったんだー

こういう状況かな?って思うし

実際に、こういうご質問をいただいています。


要は

私にはまだ受け取るものがあるはず、受け取る権利があるはずなのに、契約違反をされた。

捨てられたとは、こういうことですよね。

でも、私はこれって、そもそもの段階から関係は破綻しているんじゃないかな〜って思うんです。

離れるべくして離れたというか。


なにが破綻しているのか?

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だって、そもそもの関係性が「対等」ではないんですよ。

奴隷制度と同じ。

片方が我慢したり身を削って関係を保っている。
→奴隷化している

ということは、片方が自分で自分をすごく邪険に扱っている上に成り立っている関係だから、破綻してしまった方がいいんです。


働くだけ働いたのに、養ってもらえないなんて契約違反だ!

そういうのって、本当の愛の上に成り立つ関係ではないのです。

自らが奴隷となってしか成り立たない関係って、豊かな関係なんですか?


厳しいことを書いていますが、パートナーシップって、絶対に対等の関係性でないと、添い遂げるとか無理。

片方に無理させているんだから、めっちゃ不健康そのもの。

病気になるよね。

私自身も、そういう尊重の気持ちのない関係性なら私の人生にいらない。

奴隷制度そのものを撤廃しないといけないし、これからの時代は、こういう関係性はどんどん終わっていくと思います。


対等なパートナーシップでは「捨てる」という概念がない

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この尊重の気持ちの上に成り立っている対等なパートナーシップだと、「捨てる・捨てられる」が起こりようがないです。

どちらも身を削ってないから、奪われた感覚もなくて、見返りを求めないからです。

捨てる・捨てられると言っているうちは、その愛は偽物だということです。

よく質問されるんですけど

なぜ、みかさんは「はい!次!」とアッサリいけるんですか?

私自身も尽くしている感覚がないからこそ、「はい、次!」と、アッサリと前を向いて進んでいけるんです。

これは恋愛でも他の人間関係も同じです。

そこに執着が発生しない。

関わっている時に、何かその人の力になったり、協力したり、相談に乗ったりしているのは、私が好きでやっているからです。

一緒にいる時から、奪われてないからです。

それは、すなわち我慢してないから。

その瞬間に、報いや恩返しも全てを受け取っているから。

あとから「くれ!」とはならない。


「報いは?奪ったものを返せー!」とはならないから
この場合、「捨てる・捨てられる」というより、単純に「別れた」だけ。

よって、私は死ぬまで、捨てられようがないです。

だーれも、私を捨てられないです♡

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何を奪われたのだろうか?

見返りを求めている時点で、それは本当の愛ではないのですけど、「見返りをよこせー!」というのならば、何が奪われたと思っていますか?

好きで一緒にいただけなのに、何が奪われたのですか?

身を削ってまで尽くすことを止めるタイミングなのでは?

見返りを求めるのは偽物ですし、そういう思いって、すごく重たくて心地よいエネルギーではないから、そういうのを続けていると、どんどんパートナーは離れたくなります。

見返りを求められてるな〜って、肌感覚でわかるし、プレッシャーですから。

本当の愛は、もっと軽やかで心地の良いものです。

本当の愛を知るタイミングがきているのでは?


捨てられた!と嘆く前に

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ココまで読んでもらったらわかると思いますが、捨てられたと嘆く前に、「なぜ私は嘆きたくなるのだろう?」という視点に立ってみないと、本当のことは見えてこないです。

「捨てられた」というワードは、自分で自分を奴隷化さ瀬、自分のパワーどんどん縮小していくワードだと知ってください。

これからは、本当の愛や尊敬の上に成り立つ関係を築いていってください。

尽くすなら、「尽くすことが楽しい。尽くしたくて尽くした。以上。見返りは不要!」っていうノリで尽くす。

見返りが欲しくなるなら、やめた方がいい。

自分でどんどん奪われることを選んでしまうから、後の結果を引き受けられなくなるし、どんどん奴隷化です。

そういうのはしんどいです。

なぜ、奴隷になりたいの?

奴隷にならなくても、尽くさなくても、ちゃんと愛してくれる人はいますよ。

自分で自分を大切に扱い、自分を奴隷化させることをやめたら、愛される世界を創造できます。

あなたが自分自身を邪険に扱っているうちは、他人も同じように邪険に扱うので、まずは自分の扱い方を見直す時です。



読んでくださって、ありがとうございます♡ 「簡単に幸せな心で生きていく」というテーマで、私なりの視点を発信しています。こちらの記事が「役に立った!」と感じたら、「スキ」「フォロー」「シェア」で応援してください💕