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外国の文化を知って、楽になる。

以前、こんなツイートをした。

これについて具体的に書いてみようと思う。

「人の行動に違和感を覚える時」について言うと、私の場合、人の自己中心的な言動に振り回されて疲れることが多い。

こんな時、強硬な態度で交渉に臨むと言われている中国の文化を私は思い浮かべる。

中国の覇権的膨張主義は有名だけど、ビジネスの場においても、信頼関係を大切にするというより手段を選ばないような印象があると耳にすることが多い。

しかしその一方で、ビジネスにおける人間関係が信頼しづらいから逆に、家族・血縁関係に信頼を深く置いて大切にする文化があると言われている。身内を強く信じて大切にすると聞く。

赤ちゃんが公共交通機関で大泣きしても中国では嫌がられないと言う。笑ってみんなであやして歓迎すると言う。子どもはみんなの宝だ、と。

家族や子どもを重んじて大切にする文化は本当に素敵だと思う。

中国生まれの知人が示す“産後の価値観”に驚いた

中国出身の社長を1人知っているけれど、家族に対する思い入れは大変強いのが伝わってくる。社長が子どもを授かった時、産後のサポートは親族一同で手厚かったことが伺えた。社長の奥さんは授乳以外は産後2ヶ月ずっと寝ていると決めて、それができる環境をサポートで作っていた。

家政婦の依頼や複数の親族が快適に宿泊継続できる広い家など、経済的に可能だからという背景もあるだろうけれど、それだけではないと思った。日本では経済的にたとえ可能であっても、産後に2ヶ月、授乳以外は寝たきりで休む人はほとんどいないだろう。2週間休む人はいるかもしれないが。母親は産後まもなく育児に家事に動くことが多い。休んでいると罪悪感を覚える母親も多いだろうと思う。休むべきという価値観が日本には存在しないに等しい。早く仕事や日常に復帰したいしすべきだと考える人も多い。考え方が全く違うと思った。産後に2ヶ月寝て休むことで今後の人生の健康が守られると、その社長は熱心に語っていた。中国の伝統的な考え方だと話していた。

奥さんは友人である私に、産後2ヶ月ベッドで横になることを自信を持って勧めてくれた。しかし日本でそれを実行するのは難しい。基本的に無理である。母親は子育てと家事に追われるのがスタンダードで、産後であれ2ヶ月寝るために親族を協力させたらワガママが過ぎてしまう。

一等地にある巨大すぎる社長の豪邸を見ながら、従業員の給料を邪推した。社員に課すノルマを強化しないとなぁ、と言っていた冗談交じりの口調を思い出しながら。こんなに大きい家を建てる必要はなかったよと笑っていたのも思い出す。

「ビジネスの人間関係に重きを置かず、家族を重視して大切にする」という価値観はあるかもしれない。「身内だけを信じる」と言い換えてしまうと乱暴だけど、身内以外には裏切りを想定する人が、日本より中国の人に多いことも考えられると思う。

ここに書いたことは知人との会話に基づいた私見ではあるけれど、大きく外れた見方でもないと思う。中国人は交渉の姿勢が強硬であること、家族を重んじる文化があることは一般的にもよく知られている。

文化の違いを、人間関係に応用してみる

私は人と接した際に強硬なコミュニケーションをとられて疲弊することがあると、中国のことを思い出す。

私に強くあたるこの人は仕事の人間関係で信頼というより、利に聡い交渉を良しと考えているのかもしれない。その一方で、家族やプライベートの人間関係には深く信頼を置いているのかもしれない。利に聡い交渉の方がうまくいくシーンもきっと多いのだろう。その方がビジネスとしては賢い状況も多いのかもしれない。私的な関係の人と、深い関係が築けているといいな。

そんなことを思う。

強くあたられる側としてはそれなりにつらいけれど、可能な限り距離を置くようにする。その人が得た利益は、プライベートで最も近しい人に還元されているかもしれないと考えてみる。

もちろんこれは一つの想像にすぎない。もしかしたらその人の家族や恋人もストレスを受けているかもしれないし、強硬な態度が仕事の機会損失に繋がることもあるのかもしれない。

ただ、ストレスを感じた相手から離れつつも、好意的に受け止めることは可能である。離れるのは同じでも、好意的に離れる方が嫌いになって離れるより精神的に楽なことがある。短所の裏に長所が隠れていないかどうか、ちょっと考えてみるのは悪くない。

ストレスを感じる人のことはハナから考えない方が楽な人もいるだろうし、そういう人には向いていない考え方だと思う。ただそれなりに関わりがあって楽しい思い出もあったりすると、頭から無理にシャットアウトするより、考えて思いやってみると自分の気持ちが楽になることもある。相手のためではなく自分のために、相手の美点を考えてみる。その人と関わった時間も、自分の人生の大切な一部分なのだから。

関わりがあったということは、どこか好きなところもあったりするものだ。ストレスが多くても好きなところもあるなら全部を嫌いになる必要はないし、その方が自然な心持ちでいられる気がする。

嫌いという感情は抱えるだけで疲れる。見返してやるといったリベンジが可能とも限らないし、自分の目標を目指して生きるには不要なこともある。その人のお陰で成長できたとも限らないし、無理に感謝に繋げるのも納得いかないことだってある。

同じ日本人でも人柄が違うことは多い。違うことで意思疎通がとりにくくて悩んだ時、他の国の文化は参考になる。

短所と言われる特徴の裏には美点が存在することを、国の文化は象徴的に教えてくれると思う。

もしも今日、事故や天災にあって死んだとしても私は人生を悔やみたくないので、過去も含めて人生をトータルで受け入れて愛することを試みている。だから関わった人ひとりひとりの素敵なところはどこだろうか、と考える。離れたくなった人であってもそれは同じである。

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