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もしも結婚したときが違っていたら

 印象に残る夢を見た。高校時代の光景で、夫とともに歩いて、高校の級友と言葉を交わしていた。
 夫と知り合ったのは大学も卒業して数年経ってからなので、高校生活で夫がそばにいるのは夢ならではの出来事だった。
 高校のころはいつも不安で、級友や先生とどのように接したらいいか全然分からず、何を怒られたり嫌われたりするのかも予想がつかずに怯えていた。それが、夢のなかでは夫と連れ添い、穏やかに楽しんで動き、級友とも軽やかに会話していた。
 目覚まし時計に断ち切られて短い夢だったが、記憶に残っていた。

 もしも高校生活が、夫と結婚した状態で経験できたなら、どれほど穏やかに安定して過ごせたことだろう。両親のような頼りない家族ではなく、夫のように頼れるひとが家族であったなら。解決できない悩みが積み重なっていき混乱することもなく、一つひとつ悩みを減らし、不規則な生活を改善し、現実と折り合いをつけたうえで前進する手立ても思いついたのではないか。
 そんなたらればを、目覚ましに起こされてすぐに連想したから、この夢は記憶に定着したのだろう。

 ただ、高校生活を結婚した状態でおくるというのは非現実的だし、もし早くから夫に出会ったとしても、結婚はしていないに違いない。恋愛関係にすら、ならないだろう。当時の私と若かったころの夫は接点がなかっただけでなく、仮に接点があったとしても、交際に至らないだけでなく関わることがない性格同士だったと思える。若かったころなら、互いの良さを認識することもできない。
 それに高校ですでに結婚していたら、私は大学に行かなかったかもしれない。非正規の仕事を転々とした経験も、選択肢があれば間違いなく選ばない。私は朝起きれない怠け者だし、その気質はたぶん変わらないので、今とはかけ離れた考え方や価値観に至っていたかもしれない。高校のときに抱えていた底なしの不安は消えるかもしれないが、別種の不安を長らく抱えることになったかもしれない。などと、たらればを具体的にイメージしてみる。

 こんなふうに書いているが夫婦関係はどうなるか予想できないもので、今は良好でもいつか険悪になるかもしれない。離婚することもあるかもしれない。もしそうなったら私はこのnoteを恥に思って消すかもしれない。

 でもそれで良いのだと思う。ひとは変わるものだから、そのときの思いを精一杯表現すればいいし、瞬間を文章に閉じ込められたら充分だと思う。

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