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ようやく「書く」という気持ちが湧いてきたのでとりあえず思うところを書いてみる

ここ最近、というか半年ぐらい、ほぼ何も書けていませんでしたが。ブログ再開するとか言っておきながら(言っていたよね?もうあんまり覚えていないんだけれど)。
でも何も書いていなかったわけじゃなかった。書くには書いていた、ほぼ毎日。贔屓へのお手紙ですね。公演中もそうじゃない時も、ずっと書いていた。公演中止の間だってもちろん。こういう時はファンからの思いが贔屓の支えになる。そういうものだから。今こそ書かなきゃ!って思いで必死になりながら書いていたね。
でもおかげで、お手紙以外何も書けなかった。書くどころじゃなかった。お手紙書くだけでも必死だったもの。それ以外の何かを書くなんて、思いもよらない。そんなことをしている場合じゃない。書くならお手紙。贔屓への愛あるメッセージを。その思いが全てだった。
そうやって追われているうちにも、公演は上演され、時に中止となり、やがて千秋楽を迎える。その間にも様々な供給があって、それの感想も書く。仕事の時間も、なんなら寝る間も惜しんで書く。書き続ける。そんな日々が長く続いて、つい最近ようやくひと段落した。落ち着いたらしい。こうして何か他のことを書こうという気に、ようやくなった。

やっぱりね、心に余裕がないと書けないんですよ。いや心だけじゃない身体にも余裕がいるね。体力的に厳しい状態では何かを書くどころではない。筆が進まないという以前の問題。筆を手に取れない。
それでも書いたりはするけれど。書くべきものがあるなら。私だとそれはお手紙。身に染み付いているのか、これだけは如何なる状態でも書ける。精神の安定をお手紙を書くことで得ている感もある。写経みたいなもの。どんなにネガティブな状態でも、お手紙を書けばそれは和らぐ。贔屓にネガティブなことなんて書けないから、自然とポジティブなことを書くことになる。自然と心がポジティブに向かっていく。
今でも公演中止とかで、推し事は楽しいことだけじゃなくなってきている。そうやって時にはネガティブに沈むこともあるけれど、それでもどうにかポジティブに戻って来れるのはお手紙のおかげ。贔屓への思いを言葉にすることが、自分を救うことにもなる。

書くことって、デトックスでもあるのかも知れない。何かつらいことがあったなら、オフラインにつらつらと書き出して(オンラインでやると怒られるが)、気がすむまで書いたら一思いに消す。これでスッキリするという。私はまだ本格的にそれをやったことはないが、効果はあるんだろうなと思う。
書くものは何もネガティブなことだけでなくていい。デトックスは悪いものを出すだけじゃないだろう、きっと。とにかく頭の中にあるもの、溜まっているものを出す。頭の整理、心の整理。そこには色々ある、ネガティブもポジティブも。ネガティブは流してしまって、ポジティブを残す。形にする。それは誰かを励ますものになったり、自分を救うものになったりする。

いずれにせよ、書かないと始まらない。なんでもいいから書く。そこから全ては始まる。最初は何が何だかわからないかも知れないけれど、それはそのうち形を成していく。意味を持ってくる。自分のため、あるいは誰かのため。たとえ最初から目的を持って書いていなかったとしても、いずれはそうなってくる。無意味なままの文章なんてのは、ない。
だからとにかく書かないといけない。毎日書くべき、というのはそこからも来るのだろう。でもそのためには、心身の余裕が必要だ。何かに追い込まれている時に、書き物をしようなんて発想には至らないことがほとんどだろう。書くということそのものに追い込まれていない限りは。

私はよくあるけれどね、お手紙書かなきゃ!ってなることは。そういう時ってお手紙は書けるけれど、それ以外は書けない。原稿に追われている人もきっとそうよね。原稿しか書けない。もしかしたら他にも書きたいものが頭の中にはあるのかも知れないけれど、それを出そうという発想にまでは至らない。思いが至らないのよね、なんなら他に書きたいものがあるということにすら気付けない
そこに気づくためには余裕が必要だ。頭に隙間が、他の何かを考える空間があればこそ、他に意識が向く。追い込まれている時には気づきもしなかったことに気づける。そしてそれを実行しようという意思が浮かんでくる。
そうならないことには、物理的に「書く」という行動を取れないのよね。書きたいかも、とやんわり浮かんだとしても即座に否定されてしまう。今そんなことをしている場合ではないでしょって。

私もここ半年もの間、贔屓の公演に通い詰めたり突然の公演中止に見舞われてひどく落胆したり、様々な供給に舞い上がっては感想を書かなきゃって息巻いたりで「お手紙を書く」以外の書き物をしようという発想には至れなかった。体力的にも限界に近かったしね。贔屓のためとなると平気で無理しちゃうからってのもある。
それがようやく少し落ち着いて、ちょっと余裕が出てきたな……と思ったらまた色々と書けるようになってきた。書きたいと思えるようになった、そして実際に筆をとれるようになった。
やっぱり余裕がないとダメなんだなって思う。これがどこまで保てるかは分からないけれど(なんせまた来月からは贔屓の公演がある)、やれるうちにやっておきたいと思う。やりたいと思ったことを。書きたいと思ったことを書くということを。

ちなみに手帳に書き込むのも同じというか、余裕がないとやれないよねと思うなどしている。
余裕がなかった時期の手帳を見ると、見事に真っ白。私はiPadに入れたPlanner for iPadで予定管理ついでに簡易的な日次レビューもしているのだけれど、見返すといつ余裕がなかったのか丸わかり。真っ白だから。書き込みが増えてくると余裕が出てきたんだなってわかる。
これもつまり自分のバロメーター。わかりやすくて良い。何も書けないこともある意味立派なレビューだ。余裕がなかったという記録になる。

何が言いたかったのかという話になってきているが、要するに何かを書くには心と身体の余裕が必要だということ。今まで書けていたのになんだか書けなくなった、何も書く気が起きない、そんな時は自分に余裕がなくなっていることを疑った方がいい。
余裕を作れるようにできるならそうしたらいいし、難しそうなら無理に書こうとしなくていいと思う。どうしても書かなきゃいけないことだけ書いたらいい。それが終わったら、きっとまた書きたいことを書けるようになるだろうから。

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