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上の世代の方から「そもそもオンライン配信ってなんなの?」と聞かれたときのためのネタ帳

前置き:新人類世代との邂逅

若者支援に関わるようになって6年が経ち、入職当時はミレニアル世代がうんぬんと話していたのがいまや、Z世代を意識した支援を求められるようになった。
そんな支援現場で、かつて新人類といわれた世代の方からかけられた一声がきっかけだ。

怪我の功名とはいえないが、コロナ禍で若者支援は変化を求められた。
春には「若者は活動量が多いからウイルスを拡散してしまう」などと言われた自粛期待もあって、私たちが出会い、つながりを紡いできた若者との関わりは絶たれそうになった。

そんな危機を迎えてしまったのは、これまで若者支援が対面を前提とされていて、オンラインでの支援に懐疑的だったことがひとつの要因だ。

だからといって、それを言われたままにただ自粛していると、このままだと本当につながりが喪失してしまう。完全にコミュニケーションが取れなくなるよりは、少しでも可能性をつないでいきたいと誰もが考えていたと思うし、実際にオンラインでの支援が日本中で始まっている。

対面と非対面の環境比較をすると、前者のほうが支援としてはなめらかで、(少なくとも現時点では)対面支援のほうが効率や成果も出しやすいという感覚知は正しいのかもしれない。

ただ、若者にとってはどうだったのか。
移動にかかる負荷や、未知の支援機関に飛び込む勇気、一般的な商売ではめっきり減った電話でないと申し込めないシステムなど、若者側の負担が高すぎることには以前からずっと違和感があった。(改善提案が充分にできていない自戒も込めて書く)

若者支援にもDX(デジタルトランスフォーメーション≒デジタルへの移行)が急速に進むなかで、最も注目しているのがオンライン上のコミュニケーションだ。

仮に近い将来にこの混乱がおさまったとしても、若者支援が「やっぱり対面がいいよね」と旧態に戻るようなのではなく「どっちもいいところがあるよね」と両立を考え、Z世代(+次のα世代)にも順応できるように、DXに対するアプローチを志高く進めていく意味がある。

前置きが長くなったが、少なくとも僕はDX急進派のスタンスであるということを言いたかった。

今回は、そんな僕が聞いた質問のなかでも、最も根源的だと感じた「オンライン配信って何?」という質問に対して「なるほど若者支援にも組み込んでいこう」と思ってもらえるような努力をしたい。

なぜなら、普段からSNSやYoutubeに触れない人にとって、 "オンライン配信" という言葉からイメージやニュアンスが伝わらないのでは、形にならないからだ。
それなのに「それオンライン配信でやりませんか?」などと提案するのは、チームで仕事する以上ただの迷惑行為でしかなく、仕事を止める行為に他ならない。

自分にとってカルチャーのひとつくらいに思っていた「オンライン配信」が、いつも一緒に働いているその人にとっては説明が必要なほど縁遠いものだった。勝手な常識で話を展開しようとしていたことを反省し、長くなるが書いてみようと思う。

※オンラインでの相談やセミナーといった支援手法に関わる部分は非専門領域で、育て上げネットとして動画をアップしているのでそちらをご覧いただきたい。
※本記事は僕個人の意見であり、法人の方針や専門家の考えとは異なる部分がある場合がある。(相当な急進派である自覚がある)

「そもそもオンライン配信ってなんなの?」

最初に聞かれたときは『辞書を編む』にあった「"右"の語釈を考える」に近い、概念的な問いで、的を射るような答えが思いつかなかった。

オンライン配信」は(不)特定多数の人に情報を届けることを指す。(少なくともこの記事内では)
スマホパソコンにソフト(アプリ)を入れるだけで始めることができ、その情報は全世界から視聴することができる。世界中から動画が集まっているYoutubeには1分間に100時間分の動画がアップ(公開)されていて、個人が一生をかけても視聴できないほどの膨大な情報が蓄積され続けている。

オンライン配信をしているのは、メディアや映画会社のようないままでも映像を製作してきた会社はだけでなく、ほとんどは個人。日本には90歳の配信者もいる。

どんな動画があるかというと、どんな動画でもあるというイメージで、趣味の動画はもちろん、テレビゲームをやっている様子を配信するゲーム実況、スポーツ選手や特別な資格を持った人による解説動画も豊富にある。
さまざまな商品を実際に使ってその感想を話す商品レビューは企業の広告にも有効に使われている。最近はvlog(ぶいろぐ)と呼ばれる、映像の日記があったり、架空のキャラクターの姿を使って視聴者との対話や企画を行う「Vtuber(ぶいちゅーばー)」というジャンルもある。

配信される動画には2種類があり、収録を行いテレビさながらに文字や効果が加えられ編集されたものと、リアルタイム情報を届けるライブ配信がある。それぞれ得意なこと、苦手なことがあり、配信者は企画内容やタイミングを考えて両方を駆使している。

プラットフォーム(配信をしている場所)はここ数年で急速に増加している。最大規模の視聴者を抱えるのはYoutubeだが、instagramTwitterなどのSNSのひとつの機能としても備わっている。
そのほかにも、ゲーム実況に特化したもの、若年層を意識してアイドルやタレントが多く在籍するものなど、あまりに多様ですべてを追いかけるのは難しい。

若い視聴者はひとつのプラットフォームにこだわらず、それぞれの良さを理解して使いこなしているというから驚かされる。Tiktokで動画冒頭の1,2秒で視聴を決める姿はテレビ番組をザッピングする姿にどこか似ている。

誰でも、ひとりでテレビ局になれる時代

こんなにオンライン配信が社会文化に根付いたのは、なによりも映像に関わるテクノロジーが発展したことが大きい。

①安定した高速通信と②大きなディスプレイを持った携帯機、③追加機能(アプリ)を好きなように入れ替えできるスマホが登場したことで、動画視聴のハードルは一気に下がり、同時に、収録・編集もスマホ1つあればできるようになった。

いままではテレビ局や映像製作に熱心な人が高価な機材やソフトを揃えて作りこんできた「動画製作」の参入ハードルが一気に下がった

最近では、個人がSNSに公開した動画に対して、テレビ局が番組での利用を交渉をしている場面をよく見かけるし、バラエティ番組で紹介されるペットや衝撃映像のコピーライトは個人なものも多い。誰もがいつでも映像におさめることができる社会が到来している。

令和は誰もがテレビ局のようにリアルで報道性のある情報を発信できるようになった時代でもある。映像は特別な熱意のある人たちの所有物でなくなって、有力な消費財としてそのステージをのぼり続けている。

SNSで生まれた新たなカリスマ

テクノロジーが発展したからといって、流行や文化定着がなされるわけではない。動画が日常生活に定着した理由には同時期に流行し、文化に溶け込んだSNSの存在によるところが大きい。

そもそも、先に紹介したYoutube、Twitter、instagramのどれもがSNSに分類されるものであり、オンライン配信とSNSは親密な関係にある。

現在主流になっている承認欲求型SNS(≒ ”いいね!” のように共感を示す行動を機能にもつSNS)においては、その欲求を満たす表現技法として映像はうってつけだ。

SNSでより高い評価を得るには、短い時間で人の目を惹き、インパクトを求められることが多い。映像は文章の5000倍の情報量を持つといわれるし、文章を書くのが苦手でも、芸術的な才能がなくても参入できる手軽さも噛み合っている。

「おもしろい、泣ける、心打たれる」といった影響を与える映像を作り配信できれば、フォロワー(ファン)が増え、SNS上での影響力が高まっていく。影響力があるひとはインフルエンサーと呼ばれ、テレビタレントのようにその知名度や存在が価値となり広告案件やプロデュース・監修のような仕事につながっていく。

10年前には個人が動画を公開するのは趣味でしかなかったのに、いまや莫大な資本が動く巨大な市場を形成できるほど、社会に影響を与える力を身につけている。

オンライン配信はすでに記録媒体としての価値を超えている。
従来のテレビや新聞と同様に日常生活に溶け込み、情報源として高い信頼を得た。若者にとってはマスメディアから発せられた情報よりも、自分が発見して応援している配信者のオピニオンのほうが有力だ。

コロナ禍において、小池百合子都知事とYoutuberのヒカキンがコラボした動画がある。単なるパフォーマンスとバッサリ切るのは簡単だが、大切なのは、「ヒカキンが言うなら」と若年層に行動を促す影響力があるということがオンライン配信の価値を考えるうえで重要なことだろう。
(死語的な言い方をすれば、配信者は特に若年層にとってのカリスマである。)

※オンライン配信だけがインフルエンサーになる方法ではない。SNS上での自己表現は現代の仕事探しや生活に直結する可能性がある。
※その反面、そうした承認欲求の過剰な渇望によって、迷惑行為や炎上が起きていることも事実ではある。

余談だが、若者が活字を読まなくなったと嘆く方がいるが、そもそも膨大な情報量の映像があるのだから、効率を考えればそちらを優先するのは自明だとも思う。最近のゲーム攻略は動画解説がほとんどで、いまだに文字情報を探している自分は時代遅れを実感するばかりだ。

”声” よりも ”文字” に安心する

ここまで、オンライン配信が既に社会的な立ち位置を確立していることを伝えようと試みてきた。
ここからは、オンライン配信(というよりはSNS)によって起きている変化について所感をまとめたいと思う。

よく言われるひとつの変化はLINEをはじめチャット(テキスト)ベースのコミュニケーションの機会が格段に増えたことがある。
その結果、オーラルコミュニケーションに不便さを感じる人が生まれるようになった。(当事者として僕もその意識がある。)

音声会話の不便さは日常の会話ではさほど感じない。
それは目の前に会話の受け手がいて、多角的な情報があるなかで会話を進められるからだ。言語以外の情報を総合的に判断しているからだ。

非対面のコミュニケーションは相手の状態を予測する情報がグッと減り、より慎重な言葉選びと表現選択が求められる。自分の言いたいことを「誤解されることなく」伝えようと思うと、発声したら修正できない音声はとにかく不便に感じられる。

文章を作ってみて、ここはこうしたほうがいいなと直したり、箇条書きにして視覚的に解像度を上げられるテキストベースのコミュニケーションのほうが優位な場面が多く感じられるのだ。

一時期から「電話をしないでほしい」という意見がSNS上で増えてきた。出始めたころは「かける側の都合で自分の時間を縛らないでほしい」という論旨で、テキストに慣れると音声会話にはそういう時間的な制約があることにも気づかされる。

最近は「電話や会話で済ませたい人は受け手側に論理的な解釈を委ねていて、うまく伝えようとする努力をしていない」という過激な論旨の投稿もみた。それこそSNS上での承認を求めるための過剰な表現ではあるが、どこかで音声会話に対する忌避があることをうまく表現していると感心した。

育て上げネットで実施しているオンライン配信型の支援プログラムは、ビデオ通話ツールを使い、支援者は音声やプレゼン資料を使って進行する。

参加している若者たちは、質問や感想、気になったことをチャットで書き込んでもらっている。複数人が参加している場面でひとりひとり感想を聞いていくほど時間的な余裕はないので、まとめてコメントをもらうことでシェアにかかる時間を短縮できる。

発話が苦手な若者もチャットでなら表現できるというケースもある。もちろんその逆もあるが、個別相談の時間はチャットでなく会話で進めることもできるので、それぞれのコミュニケーションの良さを活用していくことで若者との関係構築はなめらかになる。

細かいことをいうと、スタンプや絵文字など文章が苦手でも感情表現ができるのも特徴のひとつだ。誰かの発言に親指を立てた絵文字を送ることで共感を表現したり、表情のある絵文字でポジティブ・ネガティブな感情を出すこともできる。

上述のようにSNSが確立した非対面でのコミュニケーションは特に若者との関係を作っていくうえで知っておきたいことがたくさんある。

人気の配信者のライブ配信ともなると、視聴者のコメントは読み上げることができないほど早く、とめどなく流れ続けていく。
視聴者はすべてのものに応えることなどできないことを承知でコメントしているが、たまたまコメントをひろってもらえると、さながらラジオ投稿を読んでもらえた高揚感のような、承認欲求を満たす場面も生まれている。

若者支援のDXとしてオンライン配信は有効

すでにここまでで5000文字以上を費やしてきたが、どうしても知っていてほしいことはこの3つに絞られる。

1.オンライン配信はすでに日常生活に浸透している
2.参入障壁はほぼなく、少しの努力で始められる時代がきた
3.テキスト型のコミュニケーションは関係構築のハードルを下げられる

新しい技術を取り入れる事例として、欧米の教育現場にテレビゲームを活用した授業が増えてきたことを伝えたい。

テレビゲームが選ばれた理由のひとつが、ティーン世代の大多数が幼少からゲームに触れて生活しているから、という報告を読んだことがある。
慣れ親しんだものだからこそ違和感なく始められるし、順応してステップアップするのも早いというのは、オンライン配信にも同じことがいえる。

若者支援はつまるところ、人と人とのつながりであって、若者と出会うこと、時間をかけその人のことを知り、寄り添いながらその人の希望や可能性を信じて支えることだ。
そのためにコミュニケーションをいかに紡いでいくことができるか終始している。

「つながり」を作る・発展させるという点において、オンライン配信のポテンシャルはとても高く、これを活かさない手はないだろうというのが僕の考えだ。

しかし、これまでの自身の活動を振り返ると、充分な成果を出すことができていない。それは、対面支援の代替的なコンテンツしか用意できていないからだ。

代替を求め続けていると「本当は対面でやりたいけど」という前提が拭えず成果の比較をされ続けてしまう。

非対面性をを活かした支援コンテンツの開発は、これからいっそう進めていく必要があるし、それがいままでは「つながり」を作ることが叶わなかった若者との接点を生むかもしれない。

若者支援の場において、オンライン配信が活用されてより多くの若者やその家族にとってより良い社会となっていくことを願っている。


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