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【自己紹介Part1】 はじめまして。


初めまして。あーこです。
上京12年目都内で働いています。

アカウントを作ってから実は3年くらい経って初めて先日投稿しました。

昔から毎日、忙しいくらいにいろんな事考える癖があって
頭の中でやり過ごしてきても年を重ねると忘れすぎてしまうので
いつか自分がこれを見ていろんな日々を、笑い飛ばしたり愛しめるように
勇気を出して

私のこと

どうやって書こうかな。
恥ずかしいのと悲しいこともあるけど
小さい頃から振り返ってみようと思います!


幼少期

私の家族構成は、父母、姉と弟、そして私。
石川県で生まれ育ち賃貸の一軒家に住んでいたのが
いくつの頃だろう?一番古い記憶です。
両親が大喧嘩したのか、母が私に
「お父さんとお母さん離れていいかなあ?」みたいな事を
涙ながらに聞いてきたのに対して
「嫌だよ〜、お母さんいなくなったらご飯は誰が作るの?」と
いったい誰目線なのかそんなことを言った記憶が残っています。
(今思えば子供だったけどひどい言葉ですよね。笑)

そこから引っ越して近い場所にマイホームができて
その裏に建設予定の中学校があって
よく近所のお友達と一輪車で外周を回っていた気がします。

ピアノを習い始めていろんな曲を覚え始めて
とっても楽しくてあの頃の私はピアノが大好きでした!


あと、、これを書いていたら
近所の同級生のおうちに遊びに行って
家に帰してくれなくて縄跳びの縄でドアを固定されて
危機感を覚えた記憶も蘇ってきました。恐怖。
ドSを初めて知った日でした。笑
(幼少期から波乱万丈w というか、人を監禁するくらいに
情緒激しいあの子は今何してるんだろう...笑)


小学校期

1年生の春休みに父が亡くなりました。
帰宅したら、母に言われてびっくりした。
すぐ帰ってくると思ってたから病室の外で
姉弟と遊んだりしていて。

病院に連れて行かれて何日経っただろう
父が息を引き取った後、我慢していた涙が溢れて
わんわん泣いたような気がします。

断片的に覚えているのは
「もう長くない、」と先生が母に告げている状況と
「治ったらディズニーランド行こうね!」と言ったら
酸素マスクをつけている父が首を横に振ったこと。
あの日は夜だったから家に帰る途中、
車から見える車や街のライトが涙で滲んでキラキラしすぎて
自分が違う世界にいるみたいだった。

あの時、母はどんな気持ちだったんだろう。
気持ち以上に色々大変だったことは母が亡くなった20年後に知ることになります。

その後は、転校することになって祖父母のいる富山に。

転校すると環境は一気に変わって
石川での方言で話してると偉そうと言われたり
音読の読み方をクスクス笑われたり
最初はなんか大変なところに来ちゃったな、と思ったけど
友達もできて楽しいこともあって、
小学校時代はドッヂボールしたり一輪車したり
スポ小っていうスポーツクラブでバレー習ったりして。

初恋っていうのもしました。
同じ町内の男の子。よく遊んでた。
同じ学校の子がバレンタインにチョコを渡してて
私も作ってきてたのに恥ずかしくてあげられなくて
別の男の子に渡しました。笑

1クラスしかない小さな学校だったから
私にとってとてもいろんな思い出のある学校です。

中学校期

中学は吹奏楽部に入部。
足が速かったので陸上部もたまに兼任してた。


笑ってこらえての吹奏楽の旅って番組が流行っていた頃で
顧問の先生も熱血でいい影響を受けて
朝も昼も放課後も、教室にいるよりも音楽室。
まるっと音楽づくしで過ごしました。

おかげで最後の年は
3大会とも北陸大会金賞や、本大会金賞で
とっても充実していました!!

初めての彼氏もこの頃出来ました。
好きな人に告ろう!という思春期らしい出来事で
その時の彼は私に告白してくれたんですが
他の2人は振られてしまったようで、
なぜか気持ちの矛先が私に。
よくある、無視、仲間外れ、みたいなことも起きて
ちょっと辛かったですね。。
当時の彼が、彼女たちに進言してくれていたようですが
迷惑かけちゃったなとも思って、お別れしました。

同じ部活の子だったからしんどかったけど
泣かないように気丈にしてたらそのうち
部活で同じ目標に向かうようになって
そんな悲しいことも無くなるようになって。
上京してからの今もその子とはたまにご飯に行ったり
不思議といい友達になれました。


やばい、
小さいころの出来事から長すぎる。笑
もしここまで読んでくれている方がいるなら
ありがとうございます♡

自分の気持ちの整理も兼ねているので
まとまりのない文章になってしまいますが
後少しお話ししたらこの記事は前半として終わります。


高校期

高校を決めたきっかけは中学時代の憧れの先輩がいるからでした。
もう一度一緒に部活がしたいと思って晴れて入学!!


いざ吹奏楽部に入学したら、先輩いなかった。泣
休学したまま退学しちゃったみたいでした。。
うっそーー!!!!!って感じで😂
(悲しすぎた。。。。)

推薦で受かった高校は、全然勉強せずに入学したものだから最初の実力テストは下から数えた方が早いくらいの順位。
危機感を覚えた私は学力テストに邁進して1年生の最後には学年1.2位まで成績を上げました。笑
(たぶん勉強楽しいモード突入してたんだと思います。)

そして1年の時に、同じクラスで可愛い子を見つけて、友達になろう!と声をかけた子が今でも良い友人です。

高校の頃の思い出といえば、これ。

高校は、中学みたいに部活はしていたけど
2、3年の頃は音大に進みたくてレッスンしていました。
父が亡くなった母子家庭で、母には苦労かけたと思います。
楽器も買ってくれてピアノも用意してくれて
レッスンに送迎してくれて。
高3の時、音大には行かせてやれない、ごめんと言われて
奨学生になれない自分の実力と仕方がない家庭の事情と
諦めたくなかった夢と。
あとはこの頃、誰かにひどいこと言われたんです。
学校に来れなくしてやる、とかそんな感じで。
理由は忘れましたけど、人にそんなこと言える人って
どんな心の持ち主なんですかね。
気持ちが崩壊して、私は家出しました。

当時の彼が大学生だったので事情を話して
家に置かせてもらっていました。1週間か2週間か。
悩みすぎて体重落ちちゃってげっそり。笑
何をするわけでもなくそばにいてくれて
あの時の私はそれだけで助かりました。

もう夢も諦めた、今の彼と結婚して
子供作って幸せに暮らそうか。

そう思っていたら学校の先生から電話がかかってきて
まぁすごい怒られて。
お母さん泣いて電話してきたわよ!
こんなことで学校辞めてどうすんの!勿体ない!
いいから来なさい!

と言われ、学校行ったら
生活指導室で説教され、
考え直して登校し卒業出来ました。
(こんな生徒は初めてだっただろう。。)

進路も決まらないままセンター1ヶ月前に
可愛いとナンパした(笑)あの友人が
美容学校に行くと話してくれて
一緒に行かない?と誘ってくれたのをきっかけに
昔の夢を思い出して美容学校を受験。
無事上京を決めました。
(友人は同じ学校系列の美容短大で、私は間に合わずその系列の美容専門学校。準進学校で専門に進んだのは多分私だけだったかも)

母にも地元じゃダメなの?と聞かれながら
母とも距離を置きたかった私は
(この話はまたいつか)
無理矢理上京を決めました。


ふぅ。
本当に長くなっちゃいましたね。

一旦休憩です。

ここまで読んでくださり
ありがとうございます😊

専門学校以降のことはまた後日書きますね。



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