英語学習してて思うこと:なんで?を追求してもしょうがない
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英語学習してて思うこと:なんで?を追求してもしょうがない

こんばんは。

先日洋書にリトライと言う記事を書きましたが、引き続き読んでいます。

分からない単語を全部調べなくなった

相変わらず初めましての単語がわんさか出てきます。辞書を引いたりぐぐったり、ついでに文法を確認したりするので、亀のペースです。

私は、まずオーディオブックで区切りがいいとこまで聞いて、その後本を開いてオーディオを聴きながら文字を追いかけます。で、その時に分からない単語があったらとりあえずマーカーする。文字だけでもう一度読んで、それから単語を調べたりして意味を掴んでいっています。

でも、今はマーカーした単語を全て調べるのはしていません。少し前まではしていましたが、今は別にいいかなと言う気がしてきたからです。で、この別にいいかなと言う気がするようになったのは、ちょっとした成長の証。

コンテクストが分かるようになったから

そもそも少し前まで全部調べていたのは、調べ無いと本に書かれている内容が分からなかったから。パズルで埋まっているピースが少なすぎると、そもそも何の絵なのか分から無い。だから一つずつピースを埋めるしかなかない。でも、全体の画が見えてくれば、いくつか抜けてるピースがあっても、そのピースの絵柄が何かある程度予測がつく。この単語の意味ははっきり分からないけど、主人公が傷ついているみたいだから、心理描写の一部で感情を意味する言葉だろうと推測できる、みたいなこと。

日本語だと誰しもごく普通に日常でみんなやっていることで、例えば今日読んだ本に「相克」と言う知ら無い言葉が出てきましたが、漢字からある程度予測ができました。相は相手だろうか、克は克服の克だから闘うとか打ち勝つだろうか、ならば、相克は相手に打ち勝つとかそんなとこだろうか?と。そして数行先まで進んでみる。そうすると、やっぱりそう言う意味っぽいなと確信が深まり、ググてみれば「二つの相対するものがお互いに勝とうとして争うこと」と出てきた。予測は合っていた。気になったから一応調べましたが、調べなくても本の内容を理解するのに差し支えはなかったわけです。

単語がいくつか分からなくても前後の文脈が分かれば、本は読める。そう言う文脈とか脈略とか、前後関係とか背景の状況をまとめてコンテクストと言ったりします。つまり、私は読み始めた頃よりもコンテクストが分かるようになったので、予測できる単語が増え、いちいち調べなくても読み進める上で大きな妨げにはならない単語が増えたので、全部調べなくてもよくなったのです。

調べる単語は予測が外れていそうなもの

なのである程度予測できる単語は調べ無い。調べるのは、コンテクストから予測できなかったり、矛盾していたりする単語です。例えば先日出てきたgo back on promisesと言う熟語。

go backは戻るとか後退する、promiseは約束。それで私は「約束に戻る」→「約束に立ち返る」と予想しました。昔決めたことが今お座なりなっているから初心に帰ろう的な意味だと思ったんです。でも、文脈では、私たちは方針を別の方向に変えなければならない、と言うことが書かれている。別の方向に変えるという文脈と、最初の位置に立ち返ると言う私の予想は矛盾しますよね。

それで、辞書をひくと、go back on promiseの意味は「約束を破る」でした。前後の文脈と合わせてみると。約束を破ってでも新たな方向に進んでいくべきだ、となりぴったりきました。

なんで?を追求しても仕方ない

辞書を引いて「約束を破る」だと分かった時、文脈に矛盾がないのでなるほどなと納得するのと同時に、え〜go backなのに?と口を尖らせたくなりました。でも言語になんでを追求しても暖簾に腕押しです。それは、なんで暖簾なのか?腕じゃなくて足じゃダメなのか?なんて考えもしょうがないのと一緒です。暖簾に腕押しで一つのまとまりだから。語源はあるだろうけど、それ追求しても埒が明かない。

勉強をしていると、なんで?を追求しても仕方ないことがあると言うこと。そうであるものはそうだ、と丸ごと飲み込むこと。熟語はまさにそう。日本語のことわざとか慣用句もそう。由来はあるけど、もうそれはそれとして一塊の意味として飲み込むしかない。

先述した「相克」と言う言葉が出てきたのは、養老孟司「半分生きて半分死んでいる」と言う本なんですが、その中に現代社会は、ああなったらこうなる、と言うように人間の意識の範囲内で全てが片付くと思っている節があるが、それは人工で作られた範囲だけの話で、自然を相手にするとそうはいか無い、こっちの理屈なんて通るわけがない、あるものを受け入れるしかない、と言うことが書かれていました。

何でもかんでも、意味や理由が合って、合理的に自分が納得できるものがあるはず前提にして生きていると、それが通ら無い時に怒ったり、憤ったりしています。

そう言うもんだ、と言う諦めというか悟りというか、あるものをあると受け入れる姿勢は大事だと思う。何事にも意味があると考えるのは個人の自由だけど、意味あると思うことそのものが自分のご都合主義だといのも同時に頭に置いておいた方がいいんじゃないだろうか。

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中吉
関西を拠点に店舗のない花屋(ayakokakoi FlowerDesign)を営んでいます。 読書が好きです。花のこと、本の感想、ふと考えたことなど、徒然なるままに書いています。 https://linktr.ee/ayakokakoi_flowerdesign