見出し画像

旅がくれた小さな奇跡

約2週間、夏のヨーロッパへ旅に出た。

ハンガリーのブダペストに入り、列車と飛行機を乗り継いでいくつかの国と街をまわった。夏のヨーロッパは本当に気候が良く、日本で猛暑が続いているというニュースを小耳に挟みながら、夜まで沈まない太陽の日差しと心地よく吹く風を楽しんだ。現地に住む友人たちにも会うことができて、たくさん歩いて、たくさん食べて、たくさん笑うそれはそれは素晴らしい旅になった。帰国してから約3週間、久しぶりに会う友人や同僚に「どこが1番よかった?」と聞かれる。それぞれどの街も良かったから、なんとなくその人が好きそうな街を1番よかった場所として紹介している。

でもこのnoteでは、本当に1番よかったと思うことを書きたいと思う。上手には話せそうにもないから、文章にしてきちんと残しておきたい。

帰国してはじめての日曜日

「今夜、ごはん食べに行かない?」
帰国したことは伝えていたけど、特別会う約束はしていなかった友人に当日連絡をいれてみる。お互いの予定をそれぞれ終えて、夕方に新宿へ集合。旅行中、ウニがものすごく食べたかったという話をすると「じゃ寿司でも食うかー」とそのへんにあるお寿司屋さんに入って、適当な盛り合わせを頼んで瓶ビールで乾杯。

ビールをあけながら、共通の友人が今夜片思いの相手とデートにでかけるらしい、うまくいくといいねと噂話。最近の仕事の話をしたり、私がスコットランドでお土産に買ってきたウィスキーのうんちくを話したり。一通りの近況報告が済んだら、湯呑みに書いてある魚へんの漢字がどれだけ読めるかどうかを競い合い、笑い転げた。お寿司がなくなっても、他愛もない話をずっとして、いつのまにかラストオーダーの時間がくる。お店を出て、駅に向かう帰り道では、最近どんどん仕事が忙しくなるから、コアラみたいにぐうたら生活したいと言う彼にコアラは栄養がないユーカリを食べなきゃいけないからずっと咀嚼してなくちゃいけないんだよ、口が疲れちゃうよ、なんて言い返して。なんで毒のあるユーカリを食べることにしたんだろうね〜なんてバカみたいな話をしてた。(コアラってユーカリ以外を食べても生きていけるのかしら?)

自由気ままなひとり旅

今回の旅のうち、約10日間はひとり旅だった。
ひとりで自由気ままにやりたいことだけをした。起きる時間も食べるものも、その日どこで何をするかも自由。ピカソの絵をみようと思い立って出かけた美術館も、入り口まで行ったら面倒になってしまって、庭の木かげで本を読んだ。間違えて乗ってしまったバスは適当なところで降りて、行く予定のなかったところに行ってみたり。

私はやりたいことや興味のある世界がたくさんある。自他ともに認めるミーハーだし、クールぶるくせにロマンチストだ。自分でも自分の感情の振れ幅の大きさや広がりゆくフィクション(というか妄想)の世界に手を焼いている。無理して人に合わせるくらいなら、たとえひとりだったとしても自由でいられるほうが楽で、性質にあってる。明るく物怖じしない性格もあって知り合いは多いけど、本当に仲の良い友達は少ない。こんな風にひとりで海外に出かけていくのもへっちゃらだ。と思っていたし、多分これからもそうだろう。

旅は刺激に溢れていて、本当に飽きない。毎日、新しい発見があるし、たとえヨーロッパでも自分の常識がどんどん裏切られる。まだまだ世界中に行きたいところがたくさんあるから、これからもずっと旅に憧れ続けるだろう。20代も終盤に差し掛かり、知らない街にでかけることへの好奇心は薄れたのかなと思っていたけど、全然そんなことはなかった。

だけど、それでもこんな風に、なんの変哲もないどこにでもある特別おいしいわけでもない寿司屋に行って、心をゆるした友人と、魚へんの漢字がどれだけ読めるかどうかを笑いあってる時間って、なんて愛おしいんだろう。彼がトイレに立った瞬間に思わずつぶやいた。

どんな景色にも敵わないものが、ここにある

少し余談になるけど、お寿司を一緒に食べた人に私は恋をしている。
彼が私のことをどう考えているのか、本当はいつも気が気じゃないけど、あの日曜日だけは彼が私のことを好いてくれているのかどうかとか、これからの未来のことはどうでもよかった。心から信頼し尊敬していて、なにかを飾ったり、偽ったりすることなく話ができる人と、たとえこれが最後だとしても一緒にテーブルを囲める時間がただただ嬉しくて、魔法みたいにキラキラと時間が過ぎていった。息を飲むような絶景も、何百年も人々を魅了してきた名画も宝物も、おいしい名物料理も、まったく太刀打ちできない幸福な時間だった。

きっと、毎日忙しく働く彼にとってはたまたま予定があっただけで、特になんの思いもないいつも通りの食事で、湯呑みに書いてある漢字を読むなんて、むしろ話題に困ってたのかもしれないけれど。

私の憧れるアントレプレナーに向田麻衣さんという人がいる。彼女の書いた「美しい瞬間を生きる」という本の”好きな人の鎖骨”というエッセイがとても好きだ。向田さんはネパールで、様々な事情で恵まれない生活をしている女性たちと一緒に、ヒマラヤの山奥で取れるヤクのミルクを使って石けんを作って売るというビジネスをしている。

好きな人の鎖骨にキスをしたまま眠ること以上に幸せなことがあるだろうか。毎朝一緒に目覚めて、ご飯を食べて、それぞれの仕事に出かけて、夜は待ち合わせをして、 天気のいい日はテラスの席で食事をして、ワインを買って帰る。
何気ない日々の報告をして、同じベッドに潜り込む。そこには彼のお気に入りの音楽が流れている。私はいつもその曲のタイトルを知らない。翌日も、同じように時間が流れ、一緒に映画を観た日は、私より先に泣いてしまう彼をうらやましく思いながら、その夜も一緒に眠る。そういう暮らしをすることを私は一番大切にしている。この話は親しい友人にしかしない。だから、読んでくれる女の子たちの間だけの秘密にしてほしい。 
目の前の、たったひとりの人に、ひとつのことを伝えるために、人生のすべてを使っても構わないのではないか。私はそう思っている。
評論家になるつもりはない。ただ、私は大切な人と、愛に溢れた自由な時間を過ごしながら、自分の仕事をするだけ。
くり返しになるけれど、目の前の、たったひとりの人に、ひとつのことを伝えるために、人生のすべてを使っても構わないのではないか。私はそう思っている。

ヒマラヤの山奥でヒルに噛まれながら、仕事をしている向田さんもこんなことを思うんだと驚いたし、ますます彼女の仕事が好きになった。

本当に幸せな瞬間は、旅ではなく、日常の中にある。

ただ、忙しい日々の中でそれに気づくことはなかなか難しい。少し逆説的だけど、旅に出るからこそ、日常の中の大切なその瞬間を捉えることができるようになるんだと思う。これは旅から帰ってきたすぐあとにだけ起こる小さな奇跡だ。

ここにあるなんでもない毎日が心の底から幸せだと思える本当にすてきな日曜日だった。これから、つらいことも悲しいこともきっとたくさん起こるだろうけど、こんな日々を積み重ねて、チャーミングなおばあさんになれたらどんなにか良い人生だろう。私はたまたま思いを寄せる人とこんな時間を過ごすことができたけど、きっと私が大切にしている人であれば、彼じゃなくても良かったのだとも思う。

もちろん旅でのすてきな出会いや、できごともひとつひとつを振り返れば忘れられないし、今すぐあの瞬間に飛んで帰りたいような懐かしく、切ない気持ちになる。でもそれ以上に、新宿の雑踏で感じたこの思いが、あのときの熱気や眼差しが、なによりも記憶に残る2週間の旅になった。これからもきっとどこかへでかけていくけれど、旅に出なくても、あの日曜日に感じた気持ちを大切に育てていける人に私はなりたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?