
文芸翻訳家をめざすことを決めた瞬間
今回は、投稿企画の「#かなえたい夢」に乗っかって、自分が文芸翻訳家になろうとした理由や、心構えについて書いてみます。
文芸翻訳家をめざすことを決めた瞬間
ある日、ドイツによくある本屋さん Thalia でなんとなく詩の本を手に取ってめくっていました。その中に偶然、エーリッヒ・フリートという詩人の詩があったのです。Bevor ich sterbe ― 「世を去る前に」という意味のその詩を読んだ瞬間、強く惹かれて心に染み入りました。
日本語の詩も含め、詩を読んでこんなに気持ちが動いたのは初めてでした。
でも調べてみると、日本ではほとんど知られていない。インターネット上でも、「ナチスから逃れてイギリスに亡命した」や「政治詩を書いている」くらいの情報しかなく、恋愛や人生についての詩をたくさん書いていることも載っていない。
こんな素敵な詩を書くのに、ドイツでは近代で最も読まれている詩人なのに、日本で知られているのは昔から有名なゲーテ、リルケ、ヘッセなどだけ。
これはもう、自分が訳すしかない!と思ったのが、私が文芸翻訳家をめざした瞬間です。
文芸翻訳家として考えていること
● “普通の”ドイツ語の作品を日本に紹介したい
日本人によく知られているドイツ哲学を始めとした、いかにもドイツ文学といった作品ではなく、ドイツの一般の人が楽しんでいる作品を訳したいと思っています。これまで私が公開してきた翻訳は著作権の関係上、パブリックドメインになっている古い作品が多いですが、将来的にはドイツ語の現代詩や小説を翻訳して出版することをめざしています。
● 素顔のドイツを日本に紹介する
ドイツに住み、ドイツ人を家族に持つ日本人として、偏見にとらわれない「素顔のドイツ文学」を知ってほしいと思っています。
● 同じ感情を共有できる翻訳
ことさら知的にみせるような堅苦しい訳ではなく、ドイツ人が原文を読んだときに沸く感情と、日本人が私の訳を読んだときに沸く感情をできるだけ近づけたいと思っていて、そんな訳ができるようになりたいです。
人生残り半分使って頑張ります
以前はコンサルタントという、まったく違う分野の仕事をしていました。
平均寿命で考えるともう人生半分くらい過ぎてます。
職業訓練としては始めるのが遅い方ですが、その分、小説を訳すのに役立ついろいろな人生経験はそれなりに積んでいるとも言えます。
年齢とか、環境とか、才能とか、いろいろ考えることはありますが、でも結局「やりたい」という気持ちが強く、「諦める」という選択肢が自分の中にないので頑張っていきます。