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ハーバードで教えるということ- TF(Teaching Fellow)について

私が通うハーバード大学デザイン大学院の博士課程では、2年目になると、TF(Teaching Fellow)というポジションで、修士の学生を教えることがほぼ義務付けられます。私が担当したのが、前期はTheories of Landscape as Urbanism そして、後期はTheories and Practices of Landscape Architecture。建築に設計と理論があるように、私が専攻するランドスケープ/景観の分野にも、設計と理論があって、私の専門が理論であることから、必然的に教える科目も理論だったという流れです。

主な仕事は、毎週1時間半あるディスカッションの授業のファシリテーションと、毎学期4本程度あるレポートの採点、そして最終課題の採点。前期30名、後期30名の学生を担当したので、採点したレポート数も300本は超えたと思います。毎学期に一度、教授の講義の代わりに、自分の研究を講義するということもやりました。後期に至っては、最終課題の説明のための講義も、行いました。構成は、前期も後期も、教授が週の前半で2時間半ほど講義し、TFももちろん参加、その内容を踏まえつつ、関連論文3-5本を週後半の授業で議論するというもの。

正直、ネイティブでない私が、ハーバードの修士の学生を前に、毎週、景観理論の議論をファシリテーションし、彼らのレポートにコメントを入れ、採点をするというのは、怖い以外の何ものでもなかったです。どんな質問がくるか、毎回ヒヤヒヤ。そもそも議論の英語が分からなかったらどうしよう、、やっぱり賢すぎるハーバード生を前に私の指導が未熟すぎたらどうしよう、などとずっとずっと戦っている気分でしたが、自分なりの工夫もいろいろ凝らして、できる限りを尽くしました。

議論の内容の予習と把握はもちろんですが、そもそも、議論とは、議論がしやすいインクルーシブな空間でないと、成立しません。ところが、ハーバードのような、しかも、デザインスクールという、どちらかというと、とんがってナンボという世界であって、でもほぼ皆デザイナーという性質上、理論に関心ある学生が半分くらいというなか、そうした空間を作るのはとても難しい。私自身がハーバードの修士の時に経験したディスカッションの授業で、良い思い出が、あまりなかった経験からも、最初から苦戦が予想されました。

アメリカ特有の難しさもあります。ダイバーシティの観点から、sheでもheでもなくtheyを望む学生を前にして、うっかりshe/heを投げつけてしまってはいけないし、宗教の違いへの配慮も必要です。

そういうこともあって、私自身は、難民受け入れなどの背景から多様性を包含するファシリテーションの方法論を構築しているだろうとの想定から、ドイツの教育団体のファシリテータートレーニングを受けたりだとか(正確にはFacilitator for changeという資格です)、言語をこえて感覚、体感から空間を感じることを考えてみたくて、アメリカでヨガの先生の資格(YTT200)をとってみたりして、自分なりに、そうした空間を作るための、押し引きの具合について、経験値を積む努力はしてきたけれど、そこに、知識のインプットがあるようにするとするのは、思った以上に高度なファシリテーションが必要、というのが、私の感覚です。

というので、無我夢中で頑張った、前期後期だったのですが、そのクラスの受講生からのフィードバックが先週届きました。ビビりの私は、見るのが怖くて、1週間寝かせて、ようやく見ることができました。。概ね良好。というか、想像以上に褒めてもらえていた!ありがたいと同時に、ほっとした。本当良かった。

前期の学生からのコメント
後期の学生からのコメント

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