ドラマーから芸人へ④〜世界一のドラマーはわたしの師匠〜

こんにちは、地獄パワフルわくわくあやです。


20歳のとき、知らなかった音楽を掘り下げて聴きまくっていました。

スタジオのお兄さんや、対バンした先輩ドラマーさんが、「ドラムやってるならこれは聴いといたほうがいいよ!」って教えてくれたんです。


邦楽洋楽、年代、関係なく、伝説的なミュージシャンと呼ばれる人たちの音楽をとにかく聴きまくりました。


その流れで『渋谷系』というジャンルに出会います。

フリッパーズギター、ピチカートファイブ、シンバルズ、とかそのあたり。90年代後半に流行したジャンルですね。


その中で、ORIGINAL LOVEというバンドを知り、ブックオフで見つけて中古で買った『結晶』というアルバムの、『スキャンダル』という曲。


身体に電流が走りました。

なんだこのかっこいいドラムは!!????

曲もめちゃくちゃかっこいいんだけど、

もう、とにかくドラムが、今まで聴いてきたものを軽々と飛び越えて、わたしのど真ん中に来たのです。


これだ!!!!

わたし、このドラマーになりたい!!!!


そう思わせてくれたのが、ORIGINAL LOVEの当時のドラマー、宮田繁男さんでした。


そこから意識がガラッと変わり、ドラムを仕事にしたいと思うようになりました。


宮田さんのことを、すぐ調べて。

そしたら今はKinKi Kidsやユーミン、倖田來未のバックバンドをやってると。ふむふむ。やっぱりすごい人だ。

で、ご自身がお好きなフィリーソウルのバンドもやっている。ただ売れっ子スタジオミュージシャンで組んでるバンドなので、ライブは不定期。との情報。


しばらくは宮田繁男さんがレコーディングに参加した曲を調べまくってCD探して買ったり、

宮田繁男さんのインタビュー記事が載ってる雑誌とかもヤフオクで買って、ご本人のスティックの持ち方を真似したり、

ユーミンさんのライブを実際に観に行って、宮田さんやっぱりかっこいいな、、と憧れ続けていました。

2年ほど月日は流れ。


やっと、宮田さんがやっているフィリーソウルのバンド、SOFT SOULのライブを観に行ったときのこと。


ユーミンさんのライブはNHKホールとか、5000人キャパの会場でしたが、

SOFT SOULのライブは、座って食事をしながら、お酒を飲みながら楽しむ、目黒ブルースアレイジャパンという会場でした。

キャパは150人くらいかなぁ。

今まで観た中で一番近く、宮田さんのドラミングを生で感じられました。大興奮。大感激。


着席型のライブレストランだと、関係者の方が観に来てたりするので、ライブ終わってメンバーが客席のほうへ来たりするんです。

宮田さんもいらっしゃいました。

そこで、思いきって、声をかけます。


「あの、、わたしもドラムやってるんですけど、すっごい憧れてまして、、」

「ありがとうございます。めずらしいね(笑)」


みたいな会話をして、写真を撮っていただきました。

画像1

顔に【緊張】って書いてあるね。


後日、さらに勇気を出して、Facebookから宮田さんにメッセージを送りました。

『先日ライブでお話しさせていただいた者です。ローディー(※)募集してたりしないですよね…?』


※その人のそばでお仕事の勉強をさせてもらいながら、楽器の運搬や機材車の運転、雑用などのお手伝いする人のこと。


いやー、恐る恐る感が前面に出た文章ですね。



『今のローディーがちょうど辞めるところだから、次の現場から来てみる?』


奇跡が起きました。


う、う、嬉しい!!!!!!!

ダメ元で言ってみてよかった!!!!!!

勢いとタイミングって大事ー!!!!


最初の現場が、テレビ収録のリハーサルだったのは、全身の血管が縮こまるくらい緊張しましたけど!!


そこから2年弱、ローディーをやらせてもらっていました。

世界で一番かっこいいドラマーの仕事を間近で見させてもらって、最高の時間でした。


一見とっつきにくいような印象の宮田さんですが、とてもスマートで、頭が切れて、愛のある方。


わたしがガールズバンドでデビューに向けて活動が忙しくなり、宮田さんのレコーディングを途中からしか手伝えなかったときも、

エンジニアさんに「うちのローディー、もうすぐデビューするから、よろしく」なんて、わたしを紹介してくださったり。


わたしが年齢のことで悩んでいると、「大丈夫、おれなんてデビューしたの30すぎてからだよ」と励ましてくださったり。


とても可愛がっていただきました。


そして、2014年3月30日。

宮田さんは、突然、亡くなりました。

わたしにとっては、突然、でした。

病気療養もしていたみたいですが、弱いところは一切みせず、亡くなる1ヶ月くらい前までレコーディングしていました。


55歳、、、若すぎます。

まだまだこれからもおそばにいられると思っていたのに。

もっとたくさん勉強したかったです。

あとわたしが売れるところを見せてあげられなかった。

悲しすぎて、悔しくて、受け止められなくて、涙が枯れるまで泣きました。


お葬式に参列させていただき、お顔を見たときも嘘みたいに綺麗で、わたしが知ってるかっこいい宮田さんのまま、眠っているみたいでした。


宮田さんのお母様に、

「繁男の分までドラム叩いてくださいね」と、


宮田さんの奥様からも、

「宮田の分までドラム叩いてね」と

おっしゃっていただいたこと。忘れません。



今わたしが使っているペダルは、宮田さんから生前譲り受けた物です。

dw5000のシングルペダル。宝物です。


天国から観てくれてたりするかな?と思いながら、ライブやっています。


宮田さんには、まだまだ到底、追いつけそうにないですが…

芸人になった今、一番楽しくドラムが叩けています!


宮田さんのドラムに出会えて、ローディーをさせてもらったこと、わたしの人生の財産です。

ありがとうございます。



「おれのドラム自己流だから、真似しないほうがいいよ(笑)」

って言われたけど、わたしは勝手に師匠と思っています!

いいですよね?宮田さん!



⑤に続きます。


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