自分の人生を生きる、ということ。〜アナウンサーだった私がマイクを置いた理由〜
noteを「書く、書く!」と言ってはや1年以上。
随分と長い時間が経ってしまいました。
(“書く書く詐欺”をしてしまいました。ごめんなさい)
そして、初めましてのみなさま、こんにちは。
元アナウンサーの原 綾香と申します。
簡単に自己紹介させていただきますと
私は、新卒から5年間いわゆる“局アナ”として、スポーツや報道をやったあと
現在は株式会社リードイノベーションというベンチャー企業で
チームづくりのサポートをさせていただいおります。
はい、そうです女子アナだったんです。爆
でも、私は元からあまり“キャッキャするタイプ”ではなかったので、
局アナとしても
「事件はスタジオで起きているんじゃない!現場で起きているんだ!」
的な感じで、泥に塗れながら、野を掻き分けていたタイプです。
例えばこんな感じで・・・
(※水上スキーのロケです。)
アナウンサーというと、みなさんどんなイメージをお持ちですか?
綺麗な服を着て、芸能人の方とお仕事をして、チヤホヤされる。
世の中のイメージはこんな感じでしょうか?
もちろんそういった会社もありますが、
アナウンサーこそ、「the・ド根性職種」だと私は思っています。
あ、今日は私が感じていることや普段思っていることを
つらつらと書いていくわけですが、
大事なことをお伝えするのを忘れていました。
よく通販番組などで、言われているアレです。
お気づきの方もいらっしゃるかと思います。
※あくまで、個人の感想です。
さて、気を取り直して、今日はどんな番組ラインナップでいくかといいますと
①アナウンサーの仕事の舞台裏
②私がアナウンサーを辞めた理由
③自分の人生を生きるということ
という3本柱でお届けしていきます。
どうぞ最後までお付き合いください。
チャンネルはそのまま♡
①アナウンサーの仕事の舞台裏
現在、日本で局アナとして活躍するアナウンサーは
NHK500人+民放1700人 だと言われています。
私も2013年〜2018年はその中にいたというわけです。
で、その5年間何していたか。
先ほどもお伝えしましたが
「アナウンサーって綺麗な服着て原稿読んでるだけでしょ?」
みたいな空気がありますが、そんなことはありません。
(一部の会社はあります)
「アナウンサーなめないでーーーーーー!!!!」と
声を大にして言いたいし、
原稿読むのだって、スタジオ回すのだって、結構大変なんです。笑
私がやっていたのは、主にこんな感じです。
①ネタ探し
②テレアポ
③取材
④企画→通る
⑤ロケ前構成
⑥ロケ
⑦ロケ後構成
⑧編集立ち合い
⑨ナレーション入れ
⑩スタジオで原稿読む
原稿の読むのは、全体の1割。
自分で仕事を探し、自分で企画し、
社内営業しながら(使ってもらう仕事だから)、
自分でスタジオに入り、カメラの前でプレゼンテーションしてきました。
私にとって、自分で見つけてきた“ネタ”が映像という形になって、
最後自分の言葉で何万、何十万という人に届けられる、
というのは何よりのやりがいと喜びを感じていました。
アナウンサーこそ私の天職だと思っていました。
では、その私がなぜマイクを置いたのか。
その理由を次の章でお話していきます。
②私がアナウンサーを辞めた理由
現場が大好きだった原アナウンサー。
フットワークの軽さと取材力には自信がありました。
そんな中、4年生になった時、上司からこう言われたのです。
「取材力は十分身についているから、これからは表現者としてのスキルを
磨いて行こう」と。
簡単に言うと、スタジオにいることが多くなりました。
ロケに行っても、ディレクターの方が来てくれるようになりました。
そして、ディレクターが取材した内容や思いを汲み取って自分の言葉に直していく・・・。
「ああ、私は取材が好きだったんだな。人と出会い、お話をお伺いするのが好きだったんだな」と気づいた瞬間でした。
(当時、一緒にお仕事してくださったディレクターの皆様、申し訳ございません)
では、なぜ記者やディレクターにならなかったのか。
テレビは良くも悪くもチームプレーです。
記者が原稿を書く
↓
カメラマンが映像を撮る
↓
編集マンが編集する
↓
デスクと言われる門番のチェック
↓
技術スタッフさん全面協力のもと、アナウンサーが読む
つまり、誰かがかけてしまっては放送になるはずもなく、
文字通り総力戦で1つの番組を作り上げています。
・・・・
当時の私には、それが恐怖でしかありませんでした。
「みなさんの仕事がないと、私は何も仕事ができない」
「一個人として、本当の意味で自分の足で立っていないのではないか」
と。
また新卒の時の初めての上司に言われた言葉が、私の背中を押してくれました。
「N○Kの看板で仕事をするような人間にはなるな」
「テレビは終わった」などと言われて、随分経ちますが、
それでもまだある一定の影響力を持っています。
テレビ局の腕章をつけていたら、基本どこにでも行けるんです。
「このままテレビ業界にいたら、私は原 綾香個人として何もできない人間になるのではないか」と思いテレビ業界を卒業したというわけです。
※今でもアナウンサーは素敵な職業だと思いますし、同期がテレビに出演しているのを観ると刺激になります。
アナウンサー志望の学生がいたら「絶対やったほうがいいよ!」と背中を押すことは、今でも変わりありません。
③自分の人生を生きるということ
さて、アナウンサーを辞めてどこに行ったかというと、
冒頭でもお伝えした通り、私は現在、
株式会社リードイノベーションというベンチャー企業で
チームづくりのサポートをさせていただいおります。
(なぜここにjoinしたかということは、また後日にでも)
これまで、たっっっくさんの方に
「アナウンサー辞めて、後悔してないの?」と聞いていただきました。
(そんなことをtweetしたら、300以上のいいねがつきまして、とても驚いています 原 綾香のTwitterはこちら)
私のキャリアに興味を持ってくださった方々、ありがとうございます。
反響が大きかったので、
自分の人生を生きる、ということについて私なりの見解をまとめて
今回のnoteを締めたいと思います。
・自分で意思決定しているか。
・正解な道なんてない。その道を選択したということを、正しくするだけ。
この2つだと私は思っています。
私は幼少期から「自分の人生自分で決めなさい」と両親から言われて、育ってきました。
高校も大学も、アナウンサーになることも、アナウンサーをやめることも、今の会社に入ることも全部自分で決めてきました。
「アナウンサー辞めようと思う」と両親に伝えた時も
「自分で決めたんでしょ?だったらいいんじゃない?」と。
なので、これまでの人生、全て自分で決めてきた、と自信を持って言えます。
(そう育ててくれた両親には、感謝しています)
そして、自分で決めたんだから、
それを活かすのも、殺すのも自分次第だと思ってきました。
アナウンサー辞めて、後悔するのも、しないのも自分次第だと。
で、結局、今は1ミリの後悔もないわけです。
(ここまで来られたのは、たくさんの方々のサポートがあったからです。
この場をお借りして、御礼申し上げます)
あらゆる選択肢と情報が溢れる世の中です。
人に任せたら、「〇〇さんが言ったから・・・」と人のせいにします。
自分で決めたら、「うん、これは私が決めたしな!」と納得感持って、進むことができます。
自分の人生に責任をとる、ということです。
私は、後者の方が人生楽しいと思っています。
どうか「人生楽しい!!!」と言える人が溢れる世の中になりますように。
それでは初noteは、元アナウンサーらしくこの言葉で締めたいと思います。
今日も素敵な1日をお過ごしください!
また次回の放送でお会いしましょう!