15

「失礼します!」
 語気を荒げ、香恵が生徒会室から退出した。
 廊下で待機していたゆらに気が付くと、彼女は怨念のこもった鋭い視線を突き刺してきた。そのまま何も言わず、背中から怒気を発散させて階段を下りていった。
 ──怖い、怖い。
 ゆらが肩をすくめると、生徒会室のドアが開いて三つ編みの2年生が顔を覗かせた。食堂で何度か顔を合わせたことがある、生徒会書記の八島満智だった。
「棚橋さん、お待たせしました。中へどうぞ」
 招かれるまま、ゆらは生徒会室に足を踏み入れる。
 寮の寝室とさほど変わらない広さの部屋に、3つの机がコの字に並んでいた。
 中央に生徒会長、向かって右側に副会長、左側に書記の三角札が置いてある。三角札には役職と、それぞれの名前が楷書で記されていた。
 そして会長席と対面する位置に、パイプ椅子が一脚。ゆらはしばらく前に受けた、双魚学園の受験面接を思い出した。

「どうぞー、お掛けになって」
 会長の野口奈帆が柔らかな口調で椅子を勧めた。
 ゆらが着席するのを待って、副会長の養田亜子が口を切る。
「まあ何というか、今回は災難だったわね。転入早々、厄介な子に目を付けられちゃって」
 同情的な口ぶりが意外だった。てっきり容疑者扱いされると思っていたのに。
「わたしの疑いは晴れたんでしょうか?」
「元々、疑ってないわよ。だからそんなに警戒しないでね。今日あなたを呼んだのは、転入早々トラブルに巻き込まれて、この学園が嫌いになってないかと心配だったからなの」
「盗難事件については、一応あの子にお灸を据えといたわ。実は彼女、前にも1度やってるのよ。今回が2度目ってわけ」
「前科持ちなんですか」
 ゆらは呆れて溜め息を漏らす。
「以前被害にあった子は、お気に入りだったぬいぐるみのお腹に赤い絵の具を仕込まれてね。それを知らずに抱えて寝て、夜中にベッドが冷たいので目を覚ましたら、一面が血溜まりみたいに真っ赤に染まってたわけ。その子はショックの余り、登校拒否になっちゃって、しばらく後に他の学校へ転校していったわ」
「どうしてそんな馬鹿な真似を」
「近藤先輩の親衛隊に入るのを渋ったのが理由らしいですね」
 満智が口を添える。
「彼女は停学にはならないんですか?」
「本人が決して悪事を認めないからね。彼女は命令する立場で、実行犯はたぶん他の生徒よ。追求しても、トカゲの尻尾切りで言い逃れられてしまうわね」
 まるで悪徳代議士みたいだなと、ゆらは感想を抱いた。
 後で知ったのだが、彼女の父親はやはり地元出身の代議士であるらしい。彼女の親の口利きによって、双魚学園は地元企業から多額の寄付金を得ているのである。香恵が早々に推薦入学を決められたのも、クラスのリーダー的な立場でいられるのも、ようするに親の権力に物を言わせているのだった。

「まったく、とばっちりもいいところですよね。近藤先輩と寮の部屋が同じになったのは、不可抗力なのに」
 満智が憤懣やる方ない表情で言った。
「人間の逆恨みなんて、そんなもんよねえ」
「とにかく、あなたは何も心配しなくていいから。問題が起きたら、迷わず生徒会に報告してくれて構わないわ」
「ありがとうございます。わたしなら別に平気です」
 ゆらは如才なく微笑んでみせた。
「あああ~、想像通りねえ。近藤さんや鴻野さんが、あなたに親切にしたくなる気持ち、よく分かるわあ。きっとその笑顔に魅せられちゃうのねえ」
 奈帆がくねくねと身悶えする。
 ──今、鴻野さんって言った?
 なぜゆらが彼女と接触した事実を生徒会長が知っているのだろう。二人が一緒にいた時間はごく限られていたというのに。沙和のルームメイトから、生徒会に情報が漏れ伝わったのだろうか。
 そんなゆらの疑問を察したのか、奈帆が軽く身を乗り出しながら言った。
「ああ、ごめんなさいね。不審に思ったわよねえ。実は鴻野さんが病院に運ばれる前の日、あなたと彼女が肩を並べて歩いているところを目撃した人がいるのよ」
「勘違いしないで。別にあなたを疑ってるわけじゃないわ。ただ、あの日彼女に変わったところがなかったか、ちょっと知りたいと思ったの」
 亜子が言葉を継いだ。なるほど、ここからが本題ってわけか。
 果たして、彼女たちはどこまで悪魔について知ってるのだろう。ゆらがこの学園にやって来た目的を、すでに把握しているのだろうか。

 ──悪魔の気配は……ある。
 ただし、それが誰のものかは分からない。亜子と満智は去年のパーティーに出席した可能性が高いし、会長の奈帆だって完全には除外できない。仮に悪魔憑きでなくとも、二人と共謀関係にあるかも知れないのだ。
 相手の出方を窺いつつ、ゆらは慎重に答えた。
「先輩とは、深夜零時頃まで一緒にいました。でも、お茶を飲みながら雑談していただけです。その時は特に、おかしな様子はありませんでした。それから後のことは、自分の部屋に戻ったので何も知りません」
「西の池について、何か言ってなかった? 彼女が発見された場所なんだけど」
 亜子が横から質問を重ねる。
「何も聞いてません」
 その点に関しては、ゆら自身が不思議に思っているのである。
「あの池に幽霊が出るって話は知ってる?」
「はい、聞きかじり程度なら」
「彼女が幽霊の正体だったという噂もあるんだけど」
「そうなんですか? よく分からないです」
「彼女が頻繁にあの池を密会場所に使っていたとかね。確かに人目を避けるには、格好の場所だからね」
「わたしには、さっぱりです」
 あくまで白を切り通した。その要領を得ない返答に諦めたのか、亜子は生徒会長に視線で合図を送って口をつぐんでしまう。
「そうねえ、ここであれこれ詮索しても仕方ないか。棚橋さん、事情はさっき伝えた通りだから、今まで通り楽しく学園生活を送ってね。今日はごくろうさまでした」
 奈帆が話を締めくくろうとする。

 それをいったん遮って、ゆらが口を開いた。
「すいません、わたしからも質問いいですか?」
「え……ああ、どうぞ。何かしら?」
「ここにいる皆さんは、去年の夏休みに東京で行われたインターハイ激励パーティーには出席しましたか?」
「パーティーですか?」
 いきなり話が飛んで、満智が戸惑いがちに呟く。
「そんなこと訊いてどうするの?」
「パーティーの様子が知りたいと思って。わたしの知り合いが出席していたらしくて、その人と今連絡が付かないので」
「えーと、わたしはどうだったかしらあ。出席したような、してないような」
 奈帆は指先を顎にあてて考え込む。惚けている風には見えなかった。
「去年ねえ……どうだったかなあ」
「わたしも記憶が曖昧ですね。パーティーは結構出てますからね」
「そうなんですか?」
「うん、別の宮と合同って形で、交流パーティーはよく開かれるんだ。生徒会のメンバーは必ずと言っていいほどお呼びが掛かるからね。インターハイ激励会は、わたしも、出席したようなしてないような……」
「みなさん揃って記憶が定かでないと?」
「うーん、でもパーティーなら、どこかに写真が残ってるかも知れないわ。棚橋さんの知り合いが映ってるかも知れないし、時間が空いたときにでも探しておくわね」
「はい、お願いします」
「ごめんなさいねえ。大してお役に立てなくて」
 と、奈帆が謝った。会長は昨日の晩御飯のメニューすら覚えてないんだから、最初から当てにしてないと、亜子が突っ込みを入れた。
「もし何か思い出したら、またお話を聞かせて下さい」
 ゆらはそう言い残して、生徒会室を辞した。
 三人のうち誰かが悪魔憑きであることが分かった。沙和のように悪魔の能力は発現しておらず、本人にも自覚はないようだが。早いうちであれば、深刻なダメージから宿主を救えるかも知れないと、希望が見えただけでも僥倖であろう。
 ──問題は、わたしが目立ち過ぎてることね。
 沙和の事件が沈静化するまで、自重するしかあるまい。疑いの眼差しがこちらに集中するのだけは避けなければならない。
 ここはしらばく様子見だと、ゆらは予定を微修正した。

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