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 閉鎖された屋内で篭城するのが、ベストの選択だと思った。
 雷を避ける場合、家や車の中が最も安全なのと一緒だ。外側からあの力を使われても、電気は建物の表面を滑って地面に吸収される。
 走りながら多希は考え、一つの結論を導き出した。
 やはり、あそこしかないだろう。彼女が毎日のように汗水垂らして練習している柔剣道場である。ナギナタ部の部長である多希は、顧問の教師から戸締りを任されており、この日偶然にも柔剣道場の鍵を持っていた。
 会長の足は遅い。今なら振り切れる。
 下半身にはまだ痺れが残っているが、走る分には問題ない。
 岩水寮の前の小道を駆け下り、真っ直ぐ学園を目差す。
「……ん?」
 その道すがら、多希は樹木の根元に寄り掛かった人影を見つけた。先程、香恵が倒れていた場所だった。
 しかし、一緒に残っていたはずの満智の姿がない。どこかに助けを呼びに行ったのだろうか。
 いや、違う。近付くにつれ、その予想が外れたことが分かった。
 道端に倒れていたのは、髪を三つ編みにした少女。満智だったのだ。
 つまり、消えたのは香恵のほうということになる。
 ここで何があったのか。しかし今は、彼女を起こして事情を聞いている暇はなかった。多希は心のなかで謝罪して、彼女の脇を素通りした。

 光源となるものは月明かりだけなのに、視野は開けていた。通い慣れた森の一本道。足の運びに迷いはない。
 双魚学園の柔剣道場は、校舎の裏側、校庭の東に建てられた体育館に隣接している。広さは体育館の半分ほどで、偶数日は板張り、奇数日はその上に緑色の畳を敷いて柔道場へと早変わりする。
 森の小道をしばらく下っていくと、やがて目前に巨大な黒いシルエットが見えた。照明の消えた双魚学園の校舎だった。職員室や宿直室にも明かりが見えないところからして、最悪、寮と同じ状況に陥っていると考えるべきだろう。
「ったく、手回しがいいことで」
 多分、動いているのは奈帆だけじゃない。
 ゆらの見立てでは彼女の他にもう一人、悪魔憑きの生徒が残っているのである。

 予定通り、多希は道を折れて校庭に進路をとった。
 森との境界である防護フェンスを乗り越え、人の気配が途絶えたグラウンドに飛び降りる。そのままトラックの中央を突っ切って、東側の体育館に向かって走る。
 背後から奈帆の足音は聞こえない。うまい具合に引き離せたようだ。このまま見失ってくれればラッキーなのだけれど。
 多希は柔剣道場の入口にたどり着いた。だいぶ息が上がっていた。
 手探りでバッグのなかから鍵を取り出し、ドアの鍵を開ける。ドアは分厚い鉄でできた両開きで、いくら奈帆といえども力ずくで突破するのは不可能だ。

 ──何とか逃げ切れた。
 サンダルを脱いで畳の上にあがり、内側から施錠する。
 ひんやりと滞った空気。畳が放ついぐさの匂いを嗅いで、多希は全身を脱力させてそのまま大の字に寝そべった。
「これで、当面は大丈夫」
 闇のなかで呼吸を整えながら、多希はゆっくりと目を閉じる。

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