占術番付

ハローハローこんにちわ!

どっかのサイトを眺めていたら、

何人かで同時に占ったら、全員別々の卦だかカードだかが出たけど、
みんな似たような結論に落ち着きました。
このように、占いはなぜか当たるのです!

と書いてあって、
「いや、リーディングで同じ結論に寄っただけでしょ。全員同じの出したんだったら別だけど」
と思いました。

謎の第二雨季が終わり、暑い暑い日本の夏が始まった感じがします。

さて、3週間にわたってクソ真面目な考察を書いてきたので、
今週は軽めで、資料確認とかのパワー消費が少ない話題にしたいなと。

綾羽的観点における占いの格付け

何だかんだで皆さん話題にすることが多いですよね、
「この占いは優れている、この占いはクソ」
みたいなやつ。

優れているって言うとアレですが、当たる当たらないレベルの話なら、まぁまぁ聞く感じですよね。

(個人の主観です)ってのが省略されてるだろうので、まぁなんだっていいっちゃなんだっていいんですが、
他人の主観と自分の主観とが噛み合わない場合は、大抵不満が生まれます。

ちなみに僕の場合は、
「全ての占いはクソ。ブラックボックス的な不思議な力なんか介在しなくても、心理学・認知科学・神経科学的な視点のみで説明可能」
です。

不思議な力が存在しない証明しろやぁ!と言われても、それは悪魔の証明なんで無理なんですが。
ふしぎなちから、ありとあらゆる可能性を含んでいるので、存在している可能性の否定は無理無理という。
既存の科学で説明不能な力が存在している可能性はありますが、それは君らのいう「不思議な力」じゃないぞという。
とはいえ、そういうことを言うと有り得るじゃん!って増長するので、無いって部分を強調していく姿勢を大切にしてます。

因みに、この手の話題でよく出てくるゴークランの火星効果に関しても、統計の母集団を恣意的に選んでいる可能性が極めて高いという話が出ていますね。
(まぁ、それすらも悪意のある指摘だとか言って聞く耳も持たないみたいな態度の人多いんですが、どんな基準で機械的に選ぶとゴークランの母集団が形成されるかとかの反証あげるだけでいいのにねと思っています。)

まぁ、基本的に特別な能力がなくっても、老若男女誰がやってもある程度占いができるわけですから、
誰しもが持っている普遍的な力を用いた行為なわけですよね。

その「誰しもが持っている普遍的な力」を、「不思議な力」だと主張する人も多いわけですが。
「誰しもが持っている普遍的な力」が、「既存の理論で説明可能な力」だと言う立場からすると、

「不思議な力」とは、「既存の理論で説明可能な力」をその理論に詳しくない人にとって理解しやすい形で仮定した比喩的表現である

という見え方になります。

例えばですね、「君は僕の光だった」という文章があったとして、
「君」は実際には光じゃ無いわけです。
希望だか憧れだか、なんかそういうキラキラした感情を持って接することができる存在だったってだけですよね。

でも、魔術・占術界隈では、「君」=「光」だと解釈する人の方が多いんですよね。
明らかにおかしいんですが、自分自身の想像力で「君」=「光」のファンタジー設定をしてるケースが非常に多いです。

お前の彼女は阿弥陀如来か?

そんなわけで、一般的な認識における「占い」は全部一律に「ファンタジー」でしかないという立場です。

「でも、当たるじゃないか!」と言う意見はごもっとも。
僕は「原理が既存の科学の延長にある」と言っているだけで、「当たらん」とは言ってないのは理解していただきたい。

逆に、占いは手軽にできるライフハック的に使えて良いね!という立場。

自分の思考の整理とか、問題解決のための壁打ちブレストとか、そういうのには便利なんすよね。

そんな立場なせいで、既存の魔術・占術コミュニティとは基本的にソリが合わないなと思ってて、
その独白のためにこういうnoteやってるという面も、最近ではまぁあるわけ。

まぁ、「不思議な力」で思考停止して理解する方が楽ですし、「不思議な力」を打ち出していく方がウケが良いのは非常にわかるんですけどね。
現代においては、そうした安直さこそが魔術・占術の本質を見失わせて、形骸化したゴッコ遊びに堕としてる原因だと思います。

理解しているのなら、「不思議な力などない、クソ」ということを発信していくのが、最低限必要だなと思ってます。

モダナイゼーション・オブ・マジック

そう言った前提を踏まえて、僕がメインの目標にしているのは「魔術の現代化」です。

現代化というのは、現代に適応した形に作り直すみたいなニュアンスですかね。

・・・という話をすると、例えば象徴に関して「象徴の意味を現代的に再解釈すること」を思い浮かべる人も多いかと思います。

しかし、考えてみて欲しいのですが、それって「コピペマンやめて、伝言ゲームの最後の人にやりますよ」というだけだと思うんすよね。
僕は、伝言ゲームのスタート地点のアイディアを、現代化したいんですよね。

すると、

自然に存在する何か→象徴化→先人達の解釈した意味→有名人がそれ解釈した意味→現代に即してそれを再解釈

とかをやるよりも、

自然に存在する何か→象徴化→現代に即して解釈

の方が当然純度が高くなるわけですよ。

これは象徴という具体例ではあるんですけど、
別の例として占いの手法や魔術の儀式の一つ一つをとっても温故知新的にアップデート可能だと考えてます。

そんな思考の影響もあって、個人的にはより原始的な方法を良しとし、そこからかけ離れているほど悪しと考えがちです。

偏執的にジオマンシーの起源を追っかけたりするのもその都合ですね。

魔術・占術の文化は、後付けと再解釈の文化であるのは確かなんですが、
その後付けと再解釈の理論は、現代においても妥当性があるものですか?直感的なものですか?
という部分を非常に大事にしています。

o0(んじゃお前のやってるトートタロットのシンボリズム解釈とかは?っつーと、あれはクロウリーの考えを読み取るためにあーだこうだと通説的な解釈とかを検討してるわけで、本を読むときに当時の文化背景とかを考えるのはまぁ当然なわけです。
o0(今、XII書き終わったのでXIIIのシンボリズムを書いてます。うっす。お待たせして、すいません。

o0(そういえば、甲乙丙丁の十干十二支って、もともとただの順番の表記記号だったっぽいですね。

というわけで、綾羽的観点における占いの格付けルールは以下の通りです。

・基本的には一律全部同じで貴賎はない
・その中で好き嫌いをつけるなら、より原点に近いほど好き

そして、今回お伝えしたい教訓はこれ。

・オカルト系、宗教系の古い資料を読むときには、ファンタジーを真に受けずメタファーだと理解しろ

と言う感じです。

それではまた!!

アディオス=アミーゴ!!


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