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一次情報に触れろ

なんの自慢にもなりませんが、大学生のとき、ロクに勉強しませんでした。それでも、教授が口にしていた言葉で強く心に残っているものがあります。それは、

「一次情報に触れろ」

という言葉です。「一次情報」なんて、聞きなれない方もいるかもしれません。すこし解説します。

たとえばですが、わたしがある映画について研究したいとします。その映画を見に行き視聴体験することは「一次情報」であり、その映画について書かれた本や評論を読むのは「二次情報」にあたります。

評論をたくさん読むのは研究において良いことではあります。しかし、評論しか読んだことがないのに「あの映画はさ〜」とか言う人のことは、信用できませんよね。このことから、一次情報には、二次情報をはるかに超える価値があるというのがわかると思います。

しかし、その映画は昔のもので上映されていなくて、しかもDVDもなくて…となると、一次情報に触れるまでにとても苦労することになります。一次情報は、高い価値がありつつも、時には入手するまでにコストが掛かるものなのです…。

「それでも。ホンモノ(=一次情報)に自分でたくさん触れて、自分で評価できる人間になりなさいよ。」

教授が言っていたのはそういうことだったよなぁ、とおぼろげに思い出します。


なんでそんな記憶がよみがえったかというと、サラリーマン生活の中でたまに「この人、今、一次情報を大事にしていないなぁ」と感じることがあるからです。簡単に言うと、「わざわざまた聞き」しようとしてくるときです。

たとえば…

「Aさんがこんなことを言っていた」という話があったとして、Bさんが、わたしに向かって「それって△△△って意味かな?」等と聞いてくるようなとき。かつ、「いや、Aさん、そのへんにおるやろ」というようなとき。

ホンモノまで辿り着くのがめちゃめちゃ大変で…という状況ならともかく。「わざわざまた聞き」は、何もいいことがありません。こんなときは「あぁなんかこの人は今、すぐそこに一次情報があるはずなのに、もったいない時間を過ごしているなぁ」と考えています。

だって、また聞きって情報の精度が良くありません。

「どうも、○○○らしいよ

結局そんな、噂みたいな情報しか得られないのです。自分は、そんなのに振り回されるのはゴメンだなぁ…と思っています。

※もちろん、雑談で済む話題なら気にしません。また、このBさんが自分の上司で、「Aさんが“会議で”こんなことを言っていた」という、その会議に自分が出ていたというような場合は、報告する道理があると思います。


この例では「本人の話」が一次情報に当たるわけですが、本当の意味では、一次情報というのは世の中にあるさまざまな「ホンモノ」のことを言うはずです。

どうしても自分では一次情報が手に入らない場合は、どうするべきか?

サラリーマン生活において、できるだけ一次に近い情報を得るためには、まずは「今、誰が一次情報の近くにいるか?」を把握する必要があります。そしてそんな人と「腹を割って詳しく話せる関係を作る」ことが大事なのかなという気がします。

「わざわざまた聞き」は、「あの人に話を聞きたいんだけれど、ちょっと聞きにくくて、まずは下調べしている」というパターンがどうも多いように思われます。わたしも昔は、なかなか沢山の人とうまく関係を築けず、よく「わざわざまた聞き」していました。直接聞けば、より早く、価値のある話を聞けるのに。

だからこそ、つい最近、上司がわたしのことを「壁を作らない」人間だと評価してくれたことが、とても嬉しかったのです。もともと人見知りが激しく、ここまで来るのに本当に苦労しました。今はもう、意味のないまた聞きはしません。(と、心がけています。笑)



そんなわけで、心の奥底に残っている

「一次情報に触れろ」

という言葉。教授の意図とはまったく違う形かもしれないけれど、わたしは今も、ふと思い出します。そして、「諦めずに一次情報を手繰り寄せよう」と、いつも励ましてもらうのです。

読んでいただき、ありがとうございます!