産み出してから部屋に帰るまで。@大阪日赤病院 予定帝王切開

ほっとしたのもつかの間、お腹の方ではお医者さん2人が、出産後の処置を頑張って下さっていました。
何をお話されていたのかよく覚えていないのですが、主治医の先生が部長の先生にあれこれ質問したり、指導を受けている様でした。



………結構時間かかるな………


オペの時、手は肩の高さに上げられており、またずっと仰向けているのにも段々疲れてきました。
はよーおわれー、はよーおわれーと念じるもなかなか終わらず…
かなりしんどくなって、やっとオペが終わり、ポータブルのレントゲンでお腹のレントゲンを撮られてから、腰の脊椎麻酔のみ抜去され(硬膜外はつけたまま)、隣の台に移動するとなりました。
おそらくこの直前に、前日に助産師さんに渡しておいた紙おむつをはかされたのではと思います。

私の胸から下はまだまだ完全に麻酔で麻痺してしまっているため、オペ室メンバー何人かで私を持ち上げて、移動させて貰いました。
主治医の先生や、麻酔科の先生も加わられていたような気がします。
せーの!と声をかけて力を合わせ、子供と羊水以外でもウェイトアップしてしまっていた私のボデーはよいしょと持ち上げられ、隣へ移りました。
たしか、入院着が敷いてあり、その上に乗せられたのでは?と思います。
その時、私の両手には点滴が繋がっていたので、それをどうにかうまくやりくりしながら、腕を通して下さりました。

着替えたら、病室から持ち込まれたベッドに再度移され、そのままオペ室を出発しました。
さらばオペ室③よ。
万が一、次にまた来ることがあるとすれば、お産だけであって欲しいものよ。

さて、オペエリアの前室ホールに戻ってきました
(ヘアキャップ被った所です)

オペ看さんが、病棟担当の助産師さんに引き継ぎをされ、しばらくそのまま待ちました。

そして私はふと気づくと、体がめちゃくちゃこわばっている事に気づきました。
変な話ですが、気合いを入れて体の力を緩めるとこわばりが取れるのですが、しばらくして気を抜くと、またこわばってしまうのです。
そのうちそれは、震えであることに気づきました。
帝王切開の後によく起こるという、低体温になっていたようです。

引き継ぎが終わってからもオペ看さんは確かついてきて下さってのではと思います。
業務用エレベーターに乗り、夫がいる待合にやってきました。
そこで主治医の先生から、今回のお産について、お話をしていただきました。

出血が少なく、羊水込みで1リットルほどだったこと。
開けたらやはり胎盤が癒着してしまっており、先生が丁寧に手で剥がして下さり、事なきをえたこと。癒着していたことから、個人院では対応が大変だったかもしれないこと。もしも経膣分してしまっていたら、大出血となり、止血のコントロールも出来なかったかもしれないこと。

先生はギリギリまで、経膣分娩出来ないか粘って下さいましたが、最後帝王切開にするという決断をして下さったお陰で、結果的に私は死なずに助かりました。
その後の日々の回診でも伺ったのですが、既に書いた通り、私のお産は危険な状況になる可能性が有ったため、部長の先生がスタンバイされていたんだよとの事でした。
聞いてないよと思ったのですが、不安がらせてもいけないから、言わなかったのかなと思っています。
実際、胎盤が癒着していたし、相当危険だったんですと笑顔で言われました(いやそこ笑う所じゃないだろと思ったんですが、この頃には先生も私の性格を把握されており、こういうノリで話してもOKと思われていたんだと思います。先生さすが。その通りです)

また、出血が少なかったのは、カイロのお陰ではないかと思っています。行って良かった~!

オペ後の処置が長かったのも、胎盤の処置のせいだったかと思います。
最後の最後まで苦しめおって。

でも、本当は胎盤見たかったなぁ。
今回のお産はコイツに振り回されまくったよ。
上の子の時は見せて貰ったんですが、ヘロヘロしていて、あまり記憶がない…

ともあれ、日赤に転院したことも、帝王切開にしたことも、正解だったということになります。

夫からはおつかれさんと声をかけて貰い、別れ、私は部屋に戻りました。








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