それで文音さんは結局どうなってるの?

福岡に帰ってきて三ヶ月たちました。
その節は本当に皆様にお世話になりましてありがとうございました。
10月も半ばになろうかというのに家の中では半袖の福岡でこの暖かさを懐かしく思う日々です。あ、ちなみに昼は34℃とかになります。さすが福岡。
ひどい環境から救い出され、さぞや元気になった……はずなのに動いてる気配がないのはどうしてなの? とお思いの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
お思いですよね。私だったら思います。
そんなわけで、広島から越してきてからの近況について少しおしゃべりしてみようかと思います。

広島から引っ越してきてまず私がしたことは役所等々への手続きの次に病院探しでした。精神障碍者手帳を発行してもらわなければということで精神病院を探して、幸いなことにいい先生に出会えまして現在加療中です。その次に、ひどい咳を何とかするための内科探しでした。これは近所にとてもいい病院がありましてこれまで三回ほど点滴でお世話になっております。そして、持病の指定難病を見てくれる病院探し。これも何とか見つかりまして現在経過観察中です。
こうした諸々も含め、現在私は週一~三件ほどの病院に通っております。
その中でわかったことがありました。

私は、広島で無理をし過ぎたのです。

慣れない寒い土地。掃除しても掃除しても砂壁がボロボロはがれてネズミやその他のよくわからない野生生物が跋扈する古くて不衛生な家。
ご近所さんは良くしてくれたのに大家さんとの関係は母や元旦那を思い出すような最悪に近いものでしたし、挙句の果てには井戸が枯れて節水生活。
詰まった風呂釜でシャワーしか使えず、氷点下の廊下で体を拭き、着替え、風邪をひく。
体調を崩しても近くに病院はなく、精神科は山を三つ超えた先。
親子二人しかいないので踏ん張って、不安定な収入と切り崩した貯えで生活をするため病院は限界までずっと我慢していました。

限界なんてとっくに超えていることにも気づかずに。

帰ってきて気が緩んだのだと思います。
もしくは、出続ける咳が当たり前になりすぎてそれが「重症」であることに気が付きませんでした。
引っ越して喘息で最初に病院に行った時、問答無用で吸入と点滴を同時に受けられる設備に放り込まれました。
咳が出ることが普通だった私は「普通の人は咳が出ないんです」というお医者さんの言葉に「ああ、なるほど」と妙に納得したものです。
ただのうつ病だと思って治療を受けていたメンタルは鬱重めの双極性障害だったということもわかりました。帰ってきたことで母との物理的距離が近くなったことや、帰ってきたタイミングで母方の叔父から電話がかかってきて母に関して説得されたことも追い打ちをかけたようでした。
寝ては悪夢にうなされ、動けない日々を送っております。

これが、悪くなっているのか、よくなっていることの好転反応なのか私にはわかりません。
喘息の薬の副作用出ては震え、長文の入力はかなり難しくなっています。
この文章も休み休み書いたものです。
ただ言えるのは、今はまだ、ろくに動けないということ。
それをとても申し訳なく思っているということ。
けれど、改善する方向に努力はしているということ。

クラウドファンディングやファンクラブなどもたくさんの方をお待たせしているので本当に申し訳なく思っています。
申し訳ありません。
申し訳ありません。

離れてしまった方もいらっしゃいます。
それは本当にもう申し訳ないとしか言いようがないのです。
ですが、もう少しだけ、見守ってくださるとありがたいです。

ちなみに、なんですが。

息子も発達障害のケアを受けることになりまして病院に行き始めました。大人の発達障害を診てくれるところはあまりなかったのでありがたい限りです。実家がある地域にも、広島で住んでいた地域でも病院がなかったのです。
親としてできるだけのことはしてやりたい。
そう思ってますので、そちらに時間と心を割くこともお許しください。

読んでいただくだけでも十分嬉しいですが、サポートいただくとおいしいものを食べたりして幸せになれます。私が。