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渡瀬裕哉と行く高知 気づき✨その4 地元の自由民権家をちょっとだけ調べてきいてみたら。。。

※写真は桂浜。風も無く、素晴らしい眺めで。光の筋が映り込んでいました。。。。

高知の旅のこともあり、地元の自由民権家についても少し、調べてみました。地元の資料、となると、図書館の持ち出し禁止のものが多いですね。

一冊、購入できた本がありました。『近代川崎の民衆史』けやき出版刊

その中で、二人ほど重要人物(上田忠一郎、井田文三)がいたこと。
自分が今住んでいる、溝の口、が実は、武州の橘樹郡(たちばなぐん)において自由民権運動の中心地であったことを知りました。
自分の住んでる地名を見ると、俄然興味が湧いてきます!!

今でも、上田家、井田家、が続いていて、重要な書簡などを保管していらっしゃるそうです。
議員メシ議員に、上田家、井田家がどのあたりにお住まいか調べてほしいとお願いしたのですが、了解を得たものの、返信はありません。

「一国民の会」が自由民家運動の大事な光の部分、地場産業や学校を造り、盛り立てたことを掘り起こそうとしています。
詳しくは、こちらの動画をご参照ください。

https://youtu.be/MemYuWc3ck0

川崎市に地場産業というと、工業だろうと思うんですが、時代がずいぶんあとだよな~と。このあたりはもう少し調べてみないと分かりません。

溝の口は多摩川に近く、
昔はしょっちゅう水が出ていたそうです。
先だっても堤防が一部決壊しそうになって被害が出ました。
治水が大きな課題になる地域です。

自由民権家は当時、その地域の裕福な豪農が代表となり、財産から持ち出しで活動を行うことが多いようでした。(これを豪農民権といいます。)

井田文三はその流れで県議会議員となり、
江戸幕府から明治政府が受け継いだ治水行政を県議会議員として担っていたようです。

洪水時にあふれた水を逃がす領域には課税していなかったのに、地租改正で課税するようになったことなどに反対する請願をしましたが、とうとう採択されることはなかったそうです。

その後、何年かしてから、井田文三の悲願が達成され、新しい法律もできた、と本にはありました。

治水は、地場産業ではなくて、江戸の時代から、政府(お上)の管理下にあり、国会ができたことで議員が物言えるようになったのかな、と理解しました。

けれども、いつから今のようにジャンケン理論※が機能しなくなったのだろう?とそのあたりがずっとモヤモヤしていました。。。

※ジャンケン理論についてはこちらを参照ください。
https://note.com/aya7045/n/n12ef94ba8905

それが「えーっ そういうことなんですか…」とびっくり、それは今に続く自民党政権のお話にまで続いていたことを、渡瀬裕哉さんから教えて頂きました。

それは次に書きまーす!

感謝してます💕

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