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月曜日の12時半

昨日の日曜日が仕事だったので今日は休もうと思い、近所の喫茶店に行くと月曜日が定休日でやっていなかった。好きな食堂に行こうと歩いて行くと、そこも月曜日が休みだった。ご飯は家で食べようと思い、とりあえず古本屋に行くと、『本日夕方から』と張り紙があった。

世の中、月曜日はこんな感じなのかあと思って歩くと、最近できたお店が。
先週末、オープンしたてで行列ができていたそのお店に入るか入らないか、店内を見ると若者が座っていて、さらに迷う。
思いきって入ると、とっても若い方がやっているお店だった。心細くカウンターに座ると両脇は若者カップルで、店員の方と楽しげに話している。

元気な感じの人たちに挟まれ、ゆっくりめの気分を取り戻そうと図書館で借りた本を読み始める。『他者の苦痛へのまなざし スーザン ソンタグ』はランチ前に焼かれるお肉をカウンターで見ながら読むにはモッテコイとは真逆のものであると感じ、閉じた。今日はなんというか、いろんなものが馴染まない日なのかなあと思う。隣の人たちはカウンターの中にいる店員と自分たちと料理を一緒に自撮りしていて、近所に新しい文化がやってきた感じがした。居心地というのは、人が作っているんだなあと再確認する。

そこからすぐの実家に寄って、モチーフになるかどうか母の残した物を見てみる。
気づくと実家の周りは真白な家ばかりになっていて、うちだけがビワの葉に囲まれ原始的。近所の人も知らない方ばかりになった。
母のアクセサリーが入った引き出しには服を買った時に付いてくる<ハギレと予備ボタン&タグ>が大量にあった。気持ちはわかる!と思いながら
埃っぽいその部屋を早く出ようと、ハギレセットとアクセサリーを紙袋に詰める。父が「何持ってくの?」というので紙袋を見せる。ふーん、と言って「お母さんの着てたセーター着る?」と聞かれる。「着るかもしれないけど、今は要らない。うちだけボロいね!」と玄関を閉めると「昨日の卵代、1200円!」と呼び止められる。

家に帰って紙袋を玄関に置き、あいみょんのDVDを観た。



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