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【初投稿】ものを書く練習=未来の私へ

はじめまして。

タイトルにあるとおり、ものを書く練習としてnoteを始めてみたいと思います。

小学生から高校生卒業したくらいまで、日記を毎日つけていました。少し大人になってから読み返すと、自分で書いているはずなのに自分じゃないみたいなことを考えていたりして、おもしろい。同時にすごくはずかしい気持ちになる。なんではずかしいんだろう‥過去の自分を否定したい気持ちになってしまうんだろう。冷静になって考えてみる。

今の私の見え方や考え方、選んで使っている言葉がすこしずれてるのを感じると、自分で自分を許せなくなる(んだと思う)。それが未熟さからくるものだとなおさら。だから、あとで自分が読んだときにどう思うかな‥とかしょうもないことを気にして、それで書こうとする手がもつれて、いつしか書くのをやめてしまっていた。今の私が思っていることは、今の私しか書けないことなのに。変わっていくのは悪いことじゃないのに、なんだかこわくて。

最近ニュースやSNSをみていると、いろんな人がいろんなことを言っているなあと‥山奥の仙人みたいな気持ちになることがある。読んでいていい気持ちいやな気持ちになるのはあたりまえだけど、誹謗中傷とかの話には、心中穏やかではいられない。自分で自分を許せていない私に似ているなと感じた。

誰かが言ったことを、そだねえって共感したり、ちょっと違うかもなんだけどな‥って、心の中で思うことは自分だけのもの。でも心のなかみを言葉として外に出した瞬間、意味を持つことの不思議と、誤解の可能性と双子で生まれてきてしまうことのおそろしさ。

「誤解」という意味もなんだがネガティブな意味にきこえるけど、こわがるべきものではなくて、今まで私が知らなかった可能性とでも言い換えたらどうだろうか。そういうとらえ方もあるのね!そういう表現をするのね!わからなくもないぜ。って。

言葉を、自分以外の誰に向けるか、引き金を引くひかないの判断を分別する問題は、それこそ言葉にするのが難しいしこわいけど。他人の言葉に悲しんだり怒ったりしてもいい、でもあなたの言っていることも「わからなくもないかも」って許す。そうしたら自分自身の心を救えるかもしれない。

私の場合では、他人じゃなくて自分で勝手に傷ついて臆病になっているだけなので、早く自分でなんとかしろです。なんとかしたい。

このnoteも「過去の私が言っていること」になる。未来の私は、なにあほなこと言ってんなあと思いつつも「わからなくもないけどね」と許してあげられるようになっているといいな。それから、いま私が自分に対してできていないことだから、目の前の他人に対してもやってしまっていないか、自戒もこめて。

変われてますか?成長してますか?

#初投稿 #生き方 #未来の私へ

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