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星で測れない本当の信頼

クチコミという言葉が世に出て久しい。
飲食店に行くにも、ものを買うにも、
先人たちが経験して感じたことを共有してくれる。

時々5,000円のカツオのたたきが出てくることはあるが、
ネットで調べて行動すれば、失敗することが少ない世の中になった。
その反面、新しい発見がしにくい世の中になったなと思うことがある。
ネットで見ればそのお店がどんな雰囲気なのか、どんな料理を出すのか、
さらにはクチコミが私の体験を事前に、そして擬似的に代弁してくれている。

行動したときにはすでに感動が半減しているような世の中である。
ネットにも載っていない、友達に聞いても誰も知らないレストランに行き、
そのお店がとてつもなく美味しかった時。
事前に知っていて体験するのと知らないで体験するのでは、
感動の度合いが全く違うのではないかと思うのである。

親友が遠方より久々に訪れてくる。
飲みに行くとする。
その時に私は星の数を当てにしない。

なぜか。
それは私が地元を知っているからであり、
私がその人を良く知っているからである。

「地元民がよく行く本当に美味しいお店」
こんな特集がよく組まれている。
情報戦の世の中では、
地元の人が行く人に教えたくない名店はすでに明るみに出つつある。

本当に共有されていないこと、一番大切なことは何か。
星の数が多い人気店を選んだかではなく、
その人のことを考えて店を選んだかである。

その人とはどんな関係性なのか
その人とどんな話をしたいか
その人はどんな時間を過ごしたいのか
その人はどこから来るのか

クチコミサイトには到底載っていないような色々なことを考え、
万全の環境を整えた上で久々の再会に備える。
それこそ「人をもてなす」ことの真髄なのではないかと思うからだ。

何が言いたいんだと言われれば何も言いたいことはないのだが、
あまりにも星に踊らされる自分に嫌気がさしてきたということだけなのだ。

失敗したくないという感情はものすごく強い感情である。
限られたお金や時間を投資すべきかどうかを調べられるのだから、
星に頼るのも納得できる。

しかし何かを見失いそうな気がしてならないのである。
口頭のコミュニケーション。それがクチコミである。
マスコミにはない、クローズドな環境でのコミュニケーションが、
インターネットの普及によりオープンなコミュニケーションになった。

そこで生まれたものは、他人のオススメを他人が採用するということだ。
クローズドなコミュニケーションでは、
少なくとも知人レベルの情報を受け入れていたはずなのである。
そこにはベースとなる人間関係があった。
だからその情報を採用することができたのである。

あそこのM子ちゃんは甘いものが好きだから、
今度会ったらこの前行ったあの店を紹介してあげよう。

この前紹介してくれたあのお店が美味しかったから、
今後あったらS男さんが好きだって言ってたラーメン屋さんを紹介しよう。

あなたからセンクス、私からもセンクス。
お中元の送り合いのような、この情報交換が本当のクチコミなのだと思うのだ。

本質的に人間はそれぞれに他人との距離感を決めているはずであり、
その距離によって受けたインプットの重要度を変えているはずだ。
つまり受け取った情報を真に受けるか受けないかということである。

何を信じるかということは、それぞれに与えられた自由だ。
信じるならば信頼している人の情報を信じたいと私は思う。
間違っているかどうかは問題ではなく、
その人はきっと私のことを考えて情報提供をしてくれているからだ。

そうじゃない自分と、そうしたい自分。
その葛藤、プライスレス。
ノーブラジャーイズファンタジー!

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