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短編小説:雨に恋い恋う -青いグッピー-

 透明なあなたのなかを泳ぐ青い尾びれのグッピー。美しくないわけがないよな。
 この行動の理由を言いながら、彼女の棲む水瓶にそのグッピーを放った。彼女は小さく溜め息をつきつつも自分のなかを自由に泳がせながら、弱ってる、と寂しそうに呟いた。たすかる?、と無責任に訊いたら、わたしの領分じゃない、と無機質な答えが返ってきて、やっぱりなとおもった。わかってて連れてきたんでしょう、と言い当てられて、うん、と素直に認めた。
 大学の研究室の片隅の水槽でひそりと死んでいくより、透明な彼女のなかを泳ぎながら彼女に抱き締められて死ぬほうがしあわせだとおもったから、連れてきた。ぼくならそうやって死にたいとおもったから。これは、秘密。
 ところですごい雨だね、と話しかけたら、もう止むよ、と言われた。止んでほしいわけじゃないよ、と返した。ずっと降っていてほしいよ、と重ねたら、彼女は訊くんだ。
 世界とわたし、どちらがだいじ?
 彼女の声は、こぽこぽこぽ、と音がする。そういう声だから、何を言ってももの悲しいしもの寂しいし、なんとなく冷たい気がする。いまのことばはどんなおもいで、なにを期待して紡がれたのか、ぼくにはわからない。あまりに遠い存在過ぎて、ぼくには一生わからない。
 あなたがだいじだな。
 どうせ彼女にとっての正解はわからないから、ぼくは独り言のように当たり前を答える。彼女がすき。彼女とずっといたい。彼女と結ばれる方法をいつも探している。見つかる日はきっとこない。
 世界をだいじにしなよ、と困ったような笑顔で言われたから、それはぼくの領分じゃない、と答えた。きみのそういうところが嫌いじゃないよ、と彼女はますます困ったように笑った。
 雨が弱まってきているのがわかる。もうすぐ彼女と、また別れなければならない。グッピーが彼女の心臓のあたりで泳ぐのをやめて、ゆっくりと翻った。おやすみ、と彼女が息で囁いた。おかえり、だったかもしれなかった。ぼくは、羨ましくて羨ましくて羨ましくて羨ましくて、悲しくて吐きそう。
 青く透明でゆらゆらして、向こう側を全て水中にする彼女。ほとんど雨降りのあいだ、純粋な雨水だけでかたちになる。ぼくのアパートのベランダ、だいぶ前の住人が置いていったアンティークの水瓶がすみか。雨が上がれば、ぱしゃん、とほどける。一瞬で。いまみたいに、彼女だけが知るタイミングで、ぱしゃん。あとはただ、水瓶に雨水。
 さっきまで彼女だった水に手を差し入れて、二度と泳がないグッピーを掬い上げる。ぼくはグッピーになりたかった。ぼくは、この、青いグッピーに、なりたかった。
 


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