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短編小説:雨降花

 かわいいあなたは、あなたのすべてで恋してくれたね。うれしかったよ 、いまさら。
 
 とりとめもない話をしたり、あてもなく街を歩いたり、お気に入りの本を貸しあったり、靴ひもをおそろいにしてみたり、嬉しいときは抱きついてきたり、悲しいことは隠すけど見つかったり、幸福は一番にわけてくれたり。ふたりだけの、たあいないことを、あなたは全部きらきらの宝物にして、だきしめて恋に隠していた。
 
 どうしようもなく雨宿りしていた、あの日のこと。忘れたくないよ、いまさら。

 車のヘッドライトが、アスファルトの水溜まりに星を映していたね。あとからあとから降り注ぐ雨が、音楽なんて忘れさせるくらい弾んでいたね。目の前には、雨とは違うリズムで雫が、雨だったことを忘れてあとからあとから滴ってきたね。少しだけ濡れすぎて、冷えて寒かったね。腕を絡めて寄り添ったって、ふたりとも雨を吸い込んでいて、お互いの体温を交換するばかりで暖まれやしなかったね。
 
 ふいにあなたが、小さいのに凛と響かせて言ったんだ。美しい声。美しい言葉。あなたの心は、きっとたぶん、いつも美しかった。あなたは美しかった。まっすぐで、しなやかで、確かに弱くて、だから誰よりやさしかった。あなたが守ってくれるなら、何度傷ついてもだいじょうぶなくらいには。
 
 あなたの手は冷たかった。あんなに近かったのに、心臓の音は雨の音だった。呼吸の音も雨だった。あなたが私の耳元で確かに声にしたから、それだけが本当にきこえた。
 
 
 
 ねえ、わたし、あなたがすき。
 
 
 
 なにひとつ知ろうとしないで、くだらなくもわかろうとしないで、本当にいつもどおりに、応えた。美しくない声、美しくない言葉。おもいだせないくらいに、つまりは頭を使わずに、こたえた。
 殴ってやりたいよ、いまさら。
 
 あなたを傷つけたとおもう。あなたは覚悟していたとおもう。あなたは何度も傷ついていたんだとおもう。それでもあなたは、そばにいてくれたね。だれより大切にしてくれたね。そして心を捧げてくれたね。受け取らなかったことを責めなかったね。ただ、ひそりと、離れていったね。花びらが散るように。
 
 あなたの、正真正銘の恋に気づいて、正しく美しいお返事をして、あなたの覚悟をむだにして、あなたの心を抱き締めて、あなたとずっと一緒に、ずっとずっと一緒に、たとえふたりきりになったっていいから、心を捧げて、そうやって、できたらなんて、いまさら。
 
 かわいいあなたは、あなたのすべてで恋をしてくれていたね。うれしかったよ、忘れたくないよ、いまさらこんなことおもうわたしを、殴ってやりたいよ。
 
 あなたの恋に、救われたいよ、いまさら。あなたの特別であることに救われたいよ、いまさら。あなたが大切に守ってくれたわたしなど、きっとどこにも見つけられないくせに。

あなたの恋以上に美しいものを、注がれることは、ないな。二度と永遠に、ずっとずっと。
 そうしてそれが、わたしの美しい恋だ。
 
 

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