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ほんとうのダルヴィーシュ ~ 愛の言語

2024.6.21~7.5まで、トルコを旅してきた。その振り返りを少しずつ進めていきたい。

今回の旅のきっかけは、イスタンブールからマルマラ海に渡ったところにあるYalovaという温泉が湧き出る自然豊かな街で行われたハートをテーマにしたダンスリトリートに、ミュージシャンとして呼んでいただいたことだった。そこで、私のダンサーのパートナーYoshikaとも特別に、オファリングパフォーマンスをさせていただいた。

パートナーのダンサーYoshikaとのオファリングパフォーマンス

会場はトルコのイスタンブールからマルマラ海を渡ったヤロヴァというところにあるMutlu Baba Cultural Center Dergah. ここは、イスラーム神秘主義であるスーフィズムのセマー(旋回舞踊)のためのリトリート施設のような場所。今回のリトリートにも何人かのダルヴィーシュ(スーフィズムの修行者)がサポートのために参加した。彼らは神との合一のためにセマーや音楽を用いる。

ここでも色々な経験をさせていただいた。ハートをひらく、とは非常に深い行為だけれど、私も、とてもハートがオープンになる経験から、自分自身のトラウマを刺激されるような経験まで、色々なことを体験させていただいた。世界中から集まった参加者やミュージシャンとの交流もとても興味深かったけれど、サポートで入っていたダルヴィーシュのMurat Fesih Avcıbaşıさんとの出会いは本当にハートフルなものだった。

こちらは彼の声と私の笙によるセッション。

こちらは彼のサズと声によるセッション。

この2ヶ月間が忙しすぎてゆっくり色々なことを振り返る暇がなかったのだけれど、彼とのこのセッションの動画を今見返した時、どれだけたくさんのものをこの時彼から受け取ったか、交感したのかを思い知った気がした。

言葉にはすることは難しいけれど、一つには神聖なものに対する、神に対する彼の態度。神聖なものに対する態度は、それはそのまま自分自身の最も大切な場所に対する態度。そこにある限りない美しさ。

神聖なものに人がほんとうの意味で礼拝する時、そこにはその人自身のほんとうの美しさが現れてくるのだということを深く教えてくれたと感じている。それこそが魂そのものの現れだと言えるのかもしれない。

彼は出会った時からハートフルで、とても優しかった。会場の周辺には野良犬たちが何頭も無気力そうに寝そべっていたのだが、彼が声をかけると魔法のように生き生きと立ち上がって、彼の後をついて行ったのだった。一緒に行った私のパートナーとその様子を見ながら、彼こそがほんとうのダルヴィーシュだねと囁きあった。

犬を引き連れるMuratさん

きっと、彼らダルヴィーシュとって、ハートの言語こそが神の言語であり、万物とコミュニケーションする方法なのだと思う。

私はスーフィズムについて深い知識があるわけではないけれど、私が今回深く感じたことで言えば、彼らは「神」との合一の探求において、ただひたすらにハートをひらき、ハートの奥から、神を求め続ける。その渇望とも言える深い欲求の内にただ深く入り込んでいく時、ある時に何かが起こるのだという事。

それは今回のリトリートで知った、詩人ファリードゥッディーン・アッタールの「鳥の言葉」のストーリーにも表されていると思う。

スーフィズムはいわゆる「神秘主義」と言われるけれど、今回深く感じたのは、本当に言葉を超えた「神秘」としか言えない世界は存在する、ということ。ハートの奥に入っていく時、そこには言葉が追いつかない計り知れないくらいに深い世界が広がっている。それはとてつもなく甘美な世界でもある。ダルヴィーシュたちはこのトルコ - アナトリアという地において、そのことをずっと探求してきたのだろう。私の魂にも、きっとその記憶がある。

もちろんそのほかに信仰について、土地について、国について、民族について・・様々な要素が重なり合ってこのトルコという土地のスーフィズムがあり、宗教がある。そのことにも色々思いを馳せることがあったが、今回は、Muratさんとの出会いの中で起こった、私自身のいちばんピュアな体験について書いてみた。

この場を借りて、Muratさんと、Mutlu Baba Cultural Center Dergahという場に限りない感謝を捧げたい。


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