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歌集を読む・その4

こんばんは。ひきつづき、内山晶太『窓、その他』を読んでいきましょう。明日朝はやいんで軽めにできたらいいな。

にんげんのプーさんとなる日はちかく火の近く手を伸べてぼんやり

日はちかく、火の近くで対句しながら切れをつくってゆくスタイルですね。ふしぎ。内山さんの歌では自分も含めた「人間」という存在をちょっと俯瞰する視線が出てきますね。昨日の「人界」の歌もそうだけれど。

この歌では、にんげんがくまのプーさんになる日が近いのだ、という、けっこう真意を掴みがたいことを言っている(注)。プーさんがプラスイメージなのかマイナスイメージなのか決めきれない感じですよね。どちらかというと、揶揄っぽくマイナスイメージで言ってるような感じもするんだけれど、なにぶんこのひとは「ぼんやり」しているのでそこも掴みがたい。けれど、なぜだかにんげんがプーさんになる日がちかい、ということはこのひとのなかでかなり強く確信されている。その確信だけがぼんやりと余韻の残す感じかなあ。少なくとも、人間に起こりうる堕落に対して警鐘を鳴らす!みたいなテンションではない。

(注)(01:01追記)指摘されて気づいたのですが、上の句は〈私〉が「にんげんのプーさん」となる日が近い、という無職への予感として読む方が妥当っぽいですね。私は「にんげんの」を主格だと信じて疑わなかったので「そうか!人間がプーさんになる日はちかいのか!」とおもってました。なんか、そのほうが「ぼんやり」がふつうじゃない気がしていいなあとおもったのかもしれない。連作の周りの歌を見ても、〈ひよこ鑑定士という選択肢ひらめきて夜の国道を考えあるく〉など、自身の職業について思索する歌もあるので、無職読みがやはり妥当ですね。なんかそうなるとちょっと下の句がわかりすぎちゃう感じがするかもなあ。

食卓にしろき指先うごきつつあまりに繊く鶏肉を裂く

繊く、は「ほそく」と読みます。ねんのため。この歌は「あまりに」がいいですよね。鶏肉がほそく裂かれてる状況というのは、生活のなかのひとつの発見でふが、ここに〈私〉の心が動いたんだ!ということをすっと読者に手渡してくれる。おそらく鶏肉を裂いてるのは自分なんだけど、「しろき指先うごきつつ」として、指先が裂く、という構造をつくって、〈私〉を裂く行為者から裂く行為の観察者に仕立て上げてるわけですね。こういうのはやはり上手いですよね。嫌味のない巧みさ。

陽を受けて揺れる車輛のがらんどう なっちゃんは今、テストだろうか

「がらんどう」は広くてなにもないことですね。余談ですが、先日亡くなったアニソンシンガー、和田光司が「ターゲット〜赤い衝撃〜」という曲で「地球儀にはがらんどうになったパラダイス」と歌っていて、子供ながらに「がらんどうっていい響きの言葉やなあ」とか私はおもってましたね。

車輛なのでたぶん電車かなにかだとおもいますが、その中に〈私〉ひとりだけが窓からの陽を浴びて存在してる感じでしょうか。がらんどうだから、〈私〉も存在しない空の車輛を外から見ているのかもしれません。とにかく「がらんどう」な、広くて欠落した感じから下の句の思索へつながっていく。何者か全く不明な「なっちゃん」がいいですね。テストだから学生だろうし、〈私〉の年齢によっても関係性は変わってくるんだけど、そこは明記されずただ「なっちゃん」を「なっちゃん」として思っている感じ。

ショートケーキを箸もて食し生誕というささやかなエラーを祝う

つねづね思っていることなんだけれど、短歌の中で「AというB」とか「AとしてB」のような表現を使うと、たちまち歌が理に寄り、歌の世界が無意識的な〈私〉の支配下に置かれてしまいがち。

たとえば、「短歌という爆弾」もそうだけど、こういう表現は、直喩(「短歌は爆弾のようだ」)と比べてAとBを〈私〉がそう認識したんだという雰囲気を薄めて読者に手渡す感じがある。普遍化しようとする力みたいなのがはたらくんですかね。

この歌の場合はそこまで嫌な感じを受けなくて、それは、「生誕というささやかなエラー」という把握にすごく「この人の価値観」が滲み出てるからかなあ、などとおもいました。べつにうまいこと言ってやろうとおもってそう言ってる感じじゃなくて、本気で「生誕っていうかちょっとしたエラーで生まれた感じだよなあ」っておもってる感じがする。

それはもちろん、この歌にたどり着くまでに数々の歌が出てきてるから受ける印象なんでしょうね。人間を俯瞰して見る感じだったり。もしこの歌が巻頭にあったらちょっとかっこつけすぎというか中二病感つよまる気がしますね。「†我は誤ってこの世に生を授かりし者……†」みたいなね。

ちなみに余談ですけど私は正月に生まれたので誕生日ケーキとは疎遠な子ども時代を送り、誕生日にはおせちとお雑煮を食べてました。誕生日をあまり祝われてこなかったのがひっそりとコンプレックスになりつつある。だからかしりませんが「ショートケーキを箸もて食」すこの感じはけっこう切実にひびくというか……。なんなんでしょうねえ。

それでは今日はこんな感じでしめましょう。さいごにもう少し歌をひいときます。

おまつりのような時間を生きながら見上げていたり電灯の紐

壊れそう でも壊れないいちまいの光のようなものを私に

#短歌 #書評 #日記

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