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田舎暮らしをしたからわかった事

東京から南あわじ市に移住すると、「あったものが無くなり」、「無かったものがある」という感覚に陥る。チェーン店や華やかな繁華街、おしゃれなお店は減ったりなくなったと感じる。逆に自然や美味しい食、人との交流は無かったものがあるという感覚だ。

今日は「無かったものがある」を体感する日だ。地域の消防団の事務所にて地元のお兄さん方とタバコを吸いながら談笑する時間は間違いなく無かった。そして、この後第二の実家を位置付けているお家での晩ごはんにお呼ばれしている。

男の一人暮らしという事もあって、誰かが作ってくれた手料理を久々に食べられると言うことでテンションが上がっている。東京に住んでいた時にはあり得ないシチュエーションだ。回数が増えてくると当たり前になりがちだが、とても嬉しい機会だと改めて感じる。

実家に毎月帰れていたら話は別だが、暖かい手料理を安心して食べられるのは最高だし、まさしく「ふるさと」を感じられるホッとする時間だ。仕事柄意思決定をする機会が多く、緊張状態に陥りがちなので、一息つけるのは有り難い。

話は変わるが、私には南あわじ市に行きつけの美容室がある。田舎には珍しいおしゃれ美容室で、オーナーともサッカーを一緒に観にいくような間柄だ。オーナーの人柄がとても良いので、予約が取れない人気店で、島では珍しい若い女の子もたくさん足を運んでいる。

東京時代は表参道の美容室で髪を切っていただけに、南あわじ市に移住してからも雰囲気のいい美容室で髪を切れるのはテンションが上がる。これは「意外にあって嬉しかったもの」に入る。

表参道と言っても、高校の同級生が美容師なのでそこで切っていただけで、実際私はおしゃれでもなんでもない。それでも「表参道の美容室」と言うだけでテンションが上がるし、同級生も素敵な美容師だ。その為、10人以上私の紹介で行きつけにしている。高校のクラスメートと社会人時代の友人が仲良くなっているのは不思議な感覚になる。

東京には何でもあって田舎には何にもないと言う考え方をする人もいるが、そのように感じたことは一度もない。東京時代を振り返ってもよく利用する店の数はたかが知れていた。淡路島で行きつけの店を作り、店主と仲良くなって人に会いにいくような感覚で行ける店が増え、むしろ満ち足りている。

もちろんたまに帰省した時の東京の華やかさも楽しいが、生活するなら私は淡路島の方が心地よい。使わない沢山の店のせいで地価が上がって家賃やさまざまな料金が上がるより、幾つかの行きつけを抑えたお店の少なく生活費が安い今が気に入っている。

第二の実家があって、行きつけの美容室があって、いつもの飲み屋があって、用もないのに世代を超えて集まる場所がある。田舎にしかないものは私が生きる上で求めていたものだと感じる1日だった。



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