伊藤亜和

亜細亜の平和。初孫。主に昔話や日記を書きます。

伊藤亜和

亜細亜の平和。初孫。主に昔話や日記を書きます。

マガジン

  • 【note連載】言葉

    「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

  • 小説

    思いつきで物語は成立するのか

  • ハプニング集

    これまでに発生した人生のハプニングまとめ

  • 離人症で悟りかけた話

最近の記事

  • 固定された記事

パパと私

パパと会わなくなって7年経った。 死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。 喧嘩をしたからだ。 私が18になったとき、私とパパは警察が来るほどの大喧嘩をして、それ以来いちども顔を合わせていない。 私のパパはセネガル人だ。アフリカの西の、イスラムの国の人間だ。 私の本名には苗字がふたつ付いていて(戸籍上片方の苗字は名前扱いになっているけど)、パパの家系の苗字はセネガルの由緒ある聖人の家系の印として付けられているら

    • 声は小さい、気は強い

      私は声が小さい。 言葉を話せるようになった瞬間からずっと小さい。話す速度ものろくて、抑揚もあまりない。どうしてこうなったかはわからない。物心がつき、いくつかの言葉を発したあと、私はこのくらいの音量が私には最適と考えたのだと思う。 もしかしたら、最初は声の大きく短気な父を刺激しないためだったかもしれないし、べつに理由なんてとくになくて、ただ母の話し方をそっくりそのまま受け継いだだけかもしれない。たしかに、私と弟は母とそっくりな話し方をする。3人とも、まるで牛が草を食みながら

      • 積み木の塔

        最近、話題の種はTikTokから生まれることが多い。昭和の子どもたちの話題がもっぱらドリフのコント番組だったように、平成のオタクがニコニコの動画についてばかり話していたように、私が働くバイト先の学生たちはTikTokの話ばかりしている。 私はというと、いまだTikTokを始めるに至っていない。アプリをインストールするところまではいったのだが、開いた瞬間ノンストップで流れはじめた無数の映像に混乱し、画面を縦に動かすのか横に動かすのかもわからないまま早々にギブアップしてしまった

        • 慰めの技術について

          驚くべき光景に立ち会った。 渋谷のショッピングモールのトイレに立ち寄り手を洗っていると、足元にちいさな女の子がしゃがみこんでいるのに気がついた。きっと、個室から母親が出てくるのを待っているのだろう。女の子は柱に体重を預けて、スマホでゲームをしていた。 床にお尻は着けていないものの、こんな場所でしゃがみこむのはいかがなものか、と私の中の煩い規律係が小言を言っていたが、思い出してみれば、私もこのくらいの頃は母の買い物に付き合わされるのが退屈でお店のあちこちに座り込んでいた。洋

        • 固定された記事

        パパと私

        マガジン

        • 【note連載】言葉
          ¥500 / 月
        • 小説
          0本
        • ハプニング集
          6本
        • 離人症で悟りかけた話
          1本

        記事

          しつこいナンパ

          休日に人と会う予定がキャンセルになり、最寄りのサイゼリアに6時間ほど籠城して本を一冊読み終えたあと、レイトショーで「哀れなるものたち」観た。 映画は評判の通り素晴らしいものだった。私はU-NEXTのポイントでお得に映画が観られたことと、売店で買ったジェラートとフライドポテトで甘みと塩気を交互に楽しめた充実感を身に纏って映画館の外へ出た。なんだか自分も主人公のベラのように聡明になったような気がして、黒いコートを夜風に靡かせながら無表情で顎を上げて颯爽と歩く。 23時を過ぎた

          しつこいナンパ

          後遺症

          22時を過ぎた時間、私は四谷3丁目の駅に到着した。 横浜の最寄駅から片道一時間ほどかかる。終電の時間を乗換案内のアプリで調べてみると23時半と出てきた。これから待ち合わせをするとなると、到底間に合いそうにない。そんなことは「22時ごろに」と連絡がきた時点で分かっていたはずであるのに、私は今さら自分がどういうつもりなのか分からなくなった。 駅からそれほど遠くない大通りを進んで、地図の通りに横道に逸れた。ちいさな居酒屋の前にぶら下がっている赤提灯に指定された店の名前が書いてあ

          ラーメン、その愛

          券売機から出てきた白い券を渡すと、店員は私が口を開くより先に遠慮がちに言った。 「カタメレンソウマシ、ですね?」 そう。私はカタメレンソウマシの女。今日のメンツは信頼できそうだ。私は喜びと期待が伝わるように、笑顔ではい、と答えた。 ここは、私の最寄駅の道路を挟んで反対側にある家系ラーメンの店。私が今のところ毎日ここに立ち寄らずに済んでいるのは、この店がいつもの帰路から一本外れた道にあるおかげだ。それでも、多いときで週に2、3度、私は職場の更衣室に入った時点で誘惑に負けて

          ラーメン、その愛

          成人の日~みんなおばさんになるよ~

          成人の日。去年の夏に二十歳の誕生日を迎えていた弟が、オーダーで仕立てたグリーンチェックのスーツにイエローのネクタイを結んで出かけて行った。生地を選んだとき母は「そんな派手な生地でスーツなんて、サプールみたい」と心配していたが、実際に出来上がってみると想像していたようなトンチキさはなく、むしろ光を受けて上品に艶めく深いグリーンが背の高い弟によく似合っていた。 なにより驚いたのは、スーツを着て試着室から出てきたときの弟の凛々しさ。毎日のように顔を合わせているというのに、きちんと

          成人の日~みんなおばさんになるよ~

          青森旅行番外編 高速うんこ事件

          こんにちは、伊藤亜和です。 先日、祖父母と3人で青森へ旅行に行ってまいりました。 横浜から車で10時間ほどかけて北上し、弘前に到着した後は四日かけて青森市内、浅虫、深浦、天童(これは山形ですが)と。旅行とは言いましたが、実際は祖母の申親戚、友人のご機嫌伺いであります。 私は、1日くらいはひとりで夜の街に繰り出す時間があるかしらと、祖父母パーティーからの脱出の機会をうかがっておりましたが、実際は両脇をガッツリ固められて車のハンドルを握らされ、ひとりで気ままに散策する時間など

          青森旅行番外編 高速うんこ事件

          一切は過ぎてゆきます

          アルミ製の、金色をした大きな鍋に、祖母は右手の出刃包丁で不均等に切ったりんごを次々と放り込んでいく。 私が生まれた時から家にあったその鍋は、2歳くらいの子どもならばすっぽりと収まってしまうように見えた。放り込まれたりんごが鍋の側面にぶつかる音が、ストーブで暖められた部屋にカン、カンと響いて、ときどき小さな置時計の振り子の動きと重なった。 「青森に行ったときに会ったおじさん、いたでしょ」 「ミツオさん」 「そう。目、見えなくなっちゃったったって。可哀想にね。」 つい

          一切は過ぎてゆきます

          タカイタカイオババ

          毎日、かわるがわる人と会うので、お土産を頂くことが多い。 打ち合わせでお会いする編集者の方、ネットで知り合ったはじめましての人、バイト先に来る出張帰りのお客様。皆、ご丁寧にお土産を下さる。昨日は函館から帰ってきたばかりの人にホッケとカレイの干物を頂いた。ありがたい。 私は人にめったにお土産を買わない。中学や高校の頃は、修学旅行先のお土産屋ではしゃぐ同級生たちに交じってなにか買って帰ったりもしていたが、集団での旅行機会の喪失とともに、お土産を買うという習慣も、私のなかからス

          タカイタカイオババ

          傷つきました

          タイムラインを眺めていると、そのなかのいくつかのアカウントが同じ話題について呟いていることに気がついた。 ポストに使われている言葉を検索にかけて、話題の中心部分を探る。話題のポストはたいてい上のほうに表示されるので、見つけ出すのにそれほど時間はかからない。 何千とリポストされたポストをタッチして、そこにくっついているリプライを読んでいく。そこには大概、短くて鋭い罵倒の言葉、文脈から外れた嘲笑と絵文字、同じアカウントから何度も送られたアラビア語のようなものがぶら下がっている

          傷つきました

          世の中に人の来るこそうるさけれ とは言うもののお前ではなし

          朝、目が覚めるたびに思う。「今日こそは誰一人とも口をききたくない」と。  会話という行為には、とてつもない労力がかかる。幼稚園生のとき、家族で通っていた銭湯のおばちゃんに「ここのおふろはあついから、つぎはほかのおふろにいくの」と言った。おばちゃんは申し訳なさそうな顔をして、母はそれに恥ずかしそうに頭を下げていた場面を憶えている。 中学生のとき「一緒にトイレいこ」と声を掛けてきた同級生に「トイレなんてひとりで行けばいいじゃん」と返事をした。その子がとても悲しそうな顔をしたの

          世の中に人の来るこそうるさけれ とは言うもののお前ではなし

          「ありがとう」の呪い

          西日がほとんど沈みかけていた。 私はいつものようにアルバイトに向かうべく、最寄りの駅へ向かう。到着して車から降りると、改札からは、今日の勤務を終えた人々が湧き出るように流れ出ているところだった。 ちょうど下りの電車が行ったところなのだろう。多くの人が一日の務めを終えたなかで、私はそれと反対に、上りの電車に乗って行かなければならない。 ガールズバーで働いていたときは、出勤が終電間際の時間だったこともあった。飲み会の帰りで眠り込んでいる人々に交じって濃い化粧で電車に乗ると「

          「ありがとう」の呪い

          やーらしか

          私の生まれ故郷、横浜には方言がない。 そう言うと「横浜にも『じゃん』とか『だべ』とかあるんだよ」と言われる。けれども、実際、そんなのどこでも使われているわけで、横浜だけで独自に使われている言葉は、私が知るかぎり存在しない。 私のような、いわゆる「標準語」を使う地域に住む人間というのは(というと主語が大きすぎるかもしれない。少なくとも私は)方言というものへの憧れゆえに、気分によって選び取るアクセサリーのように扱ってしまうことがあると自覚している。 たとえば、近しい誰かの意

          やーらしか

          ダンゴムシ

          庭になったブドウがすでにほとんどアライグマに食べられてしまいました。ブドウだけなら許せるのですが、ヤツらはおじいちゃんが大事に育てているメダカも食い尽くしていきやがりました。今朝、ベランダにカピカピになったヤツらのフンが落ちていたのを見て、動物に対して初めて憎しみの感情を覚えてしまいました。絶対に許さん。 さて、横浜の片田舎にある我が家の庭には、日々さまざまな生き物が生息、あるいは遊びにきたりしています。腰を丸めてピョコピョコと現れる憎きアライグマファミリーをはじめ、たぬき

          ダンゴムシ