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ともに旅をし、そしてひとりになって −ともにいのちを生きるためのパートナーシップについて考える−

今年の4月から一緒に旅をしているオランダ人のパートナーとは、旅を始めた頃から話していることがある。

「これから長く旅を続けるとしても、どこかに定住をすることになるとしても、1年のうち1ヶ月は離れて過ごす時間を持てるといいね」


数年前のわたしであればそんな考えに軽やかさを感じる自分と、さびしさを感じる自分、半分半分くらいだったかもしれない。

今も気持ちとしては半分半分だが、今はそのさびしささえ、愛おしいと思う。


これまで過ごしたさまざまな時間を通じて自分自身との信頼関係、そして彼との信頼関係が育まれているのだろう。


彼は今でも、2週間に一度はひとりでハイキングに出かけ、5、6時間、山や砂丘、ジャングルの中を歩き回って帰ってくる。

道すがら出会った動物や植物、景色の写真を見せて話してくれることもあるが、スマホさえ持たずに出かけていくこともある。


万が一何かがあったらと思わなくもないけれど、「ひとりのときはどんなときもどんどん前に進むことばかり考えていたけれど、今はあなたがいるからどこかで引き返すこともある」と言う彼を信じている。


とは言え、もっと前に進んでみたいという気持ちを持つ彼のことも知っている。

バンコクからシンガポールまで、2,000km以上の道のりを自転車で3週間かけて縦断したこともある人だ。

わたしも基本的には一人で何かに没頭する時間が好きだが、読書をしたり考え事をしたりが思う存分できれば正直一週間家の中にいても満足だ。


一緒にいるようになってわたしは彼とハイキングをする時間を、彼は本を読んだり書き物をする時間を体験するようになり、お互いにひとりのときよりも充実した時間を過ごすことができているのは間違い無いが、根本的にいのちが喜ぶ時間の質感のようなものが違うのだと思う。


ともに生きることは、ともに過ごす時間がお互いにとって豊かなものになることだと思うけれど、全ての時間を一緒に過ごす必要はなく、むしろ一緒には分かち合えない喜びや楽しみをそれはそれでしっかり持っておき、存分にそれを味わう時間を持つことも大切なのだと今は思う。


ちなみにわたしはいつも彼のことを「パートナー」と書いているが、彼はわたしのことを「girl friend」と呼んでいる。

一緒に時間を過ごすようになって間もない頃は「ガールフレンドとはいかなるものか!?(しかもいい歳をした大人が…)」と思っていたけれど、オランダを出て一緒に旅を続ける中で呼び名はどうでもよくなった。

(小さい頃から親に「あなたはあなたのパートナーと生きていくのよ」と言われていたこともあり「パートナー」に対する思い入れがあったのだとも思う)

一緒に旅をし、一緒に景色を見て、一緒にごはんを食べる。
次の行先を一緒に決める。

その積み重ねで、何と呼ぶかは分からないけどお互いがお互いにとって大切な人なのだということを今は実感している。

夫婦でも、ふうふでも、パートナーでもgirl friend でもいい。

お互いのいのちが生き生きと輝きながら、何かしらの時間を一緒に過ごすことができたら、素敵だと思うし、それは彼との関係に限らない。


対話を通じてともに大切なことを感じ見つめる人たちのことを、クライアントと呼ぶのか、仲間と呼ぶのか、友人と呼ぶのか、呼び名はいろいろだけど、とにかくわたしは一緒に時間を過ごす人たち、言葉と言葉にならないものを交わす人たちのことをとても大切に思っている。

そんな人たちとともに過ごす時間をこれからも味わっていくことができたら、良い人生だったと思えるに違いない。(今も十分に思っている)


「来年の春か夏、日本に行こうかな。あなたと一緒に行きたいけれど、それができなくても日本に行こうと思う」

と言うと

「それはいいね。僕たちにはそういう時間も大事だから。今みたいな状況になっていなかったら確実に定期的にそれぞれの時間を持っていただろうね。今は昔の人たちがそうだったように一度国をまたいで離れてしまったらもう会うことができないかもしれない。だから状況が変わらなかったらこれからもきっとなるべく一緒にいることになるけど、それでもやっぱり離れて過ごす時間は大事だし、今日本に行くのはきっと大事だと思う。僕はどこに行こうかな」

という言葉が返ってきた。


願わくばやはり、彼とともに日本を訪れ、もう2年以上会っていない親や兄妹に一緒に会いたいけれど、それが叶うかは分からない。


これまでずっと一緒に次の行き先を決めてきたけれど、それぞれが自分で次の行先を決めることになるかもしれない。


それでも、ともに旅をする時間を経てやってきたひとりで過ごす時間は特別なものになるだろうし、そしてまたともに過ごす時間もきっと特別なものになるだろう。


「いってらっしゃい」とお互いを送り出し、「おかえりなさい」と再び出会う。

そこにどんな名前がついていても、ともに過ごす時間を味わう。

そんな関係を出会った人と築いていけたなら、ともにいのちを生きることができるのではないかと、そんなことを思っている。

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