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自分を消す

バタバタと雨の音が聞こえる。パタパタ、と表現した方がいいだろうか。
そう強くはない、落ち着きと柔らかさのある音。

昨晩のことを思い出そうとするも思い出せない。

日記を書いた後、結局何か本を読んだのだったっけ…。

そうだ、日本時間の夜中に目が覚めたパートナーとメッセージのやりとりをしていたのだ。その中で「自分を消す」という言葉が出てきた。

世界にもっと提供したいものがある。しかし身体と時間が限られた中でどうしたらいいだろう。そんな話だったと思う。

私は圧倒的に一対一での対話が得意であり好きでもあり、そこで起こることはおそらくクライアントに対してもパワフルな後押しになっているであろう(そう願いたい)と思っているのだが、同じ形で関われる相手というのはこれ以上大きく増やすことは難しい。ひとりひとりとしっかりと関わりたいという想いはあるが、仮にそれに忙殺されることになってしまうとおそらく一つ一つの時間の質が下がるとともに、そもそも自分の望むものでもなくなってしまう。

しかし、よくよく考えてみると、クライアントにとっては、必ずしも私と関わる必要はないのだ。自分自身の力を発揮することができて、喜びに満ちた毎日や人生を過ごすことができたのならそれはその人にとって幸せだろうし、私もそんな人が増えることは大きな幸せである。


そして対話はその後押しとなると考えているのだが、必ずしも対話の相手は私ではなくて良い。

対話の土台は、自分自身との対話であり、その次が、身近な人、仕事やプライベートのパートナーとの対話だと最近つくづく感じている。スティーブ・ジョブズも一人だったわけではない。対話の相手がいたのだ。創造性と人間関係は深く関係している。

私の目指す世界は、世界中の人と自分が対話をしている世界ではなく、それぞれの人が、それぞれに、対話のパートナーを持っている世界。それをいつまでも自分がやろうとすることで限界が生まれる。


身近な人間関係は難しい。家族であれ、仕事仲間であれ、そこには多少なりともお互いの利害関係や利益の相反関係のようなものが発生する。しかし、確かに一見そうなのだが、意識と対話のステージが変われば、きっとそうではなくなるのだ。それを後押しする。

自分自身との対話、パートナーとの対話。

それができれば、その先の多くの人とも対話をしていけるようになるだろう。

そこに私はいなくていいのだ。

自分を消す。

それは自分の軸がなくなることでも、自分の存在価値がなくなることでもない。

そもそも存在価値とは他者からの評価や他者への影響の大きさで決まるわけではない。

存在している。それだけで十分なのだ。

だからあとは、自分が直接関わらなくても人が対話の力を発揮していく環境をどうやってつくっていくか。

自分という存在をそこに置くことを手放したとき、世界との関係性の質はまた変化し、人生の可能性もまた広がったように感じている。2020.7.8 Wed 8:47 Den Haag

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