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カレーづくりから、人間の協働と成長について考える

夕食を終えて、お茶を淹れた。ここ数日は、足先がとても冷えているのでよもぎのお茶を淹れている。一緒にお茶を飲む相手の体調やそのとき過ごしている時間の質感に合わせてお茶を選ぶのが好きだが、残念ながら今はその機会がない。自分のために淹れたお茶を一人で飲むのも悪くはないが、また、お茶を飲みながら友人たちと語り合いたいものだ。(いつになったらそんな日が訪れるのだろうか…。)

昨晩は、あまりにも足先の冷えがひどかったので寝る前に足湯をした。そして、足先の冷えの原因について調べてみた。すると運動不足が第一の原因であるという話が出てきた。確かに今の私は明らかに運動不足である。足先にこんなに顕著に影響が出ているということは、思考や感覚にも影響が及んでいる可能性がある。運動不足は運動でしか解消できないのだろうかなどと言うことを考えてもみたりするが、結局は運動をするのが一番いいのだろう。暖かくなってきたし、今度1日予定がない日は近くの森のような公園まで散歩に行くのもいいだろう。

ここ数年、体調不良やできものなどができたときにその原因を調べてみると、大抵「運動不足」か「加齢」と書いてある。年齢は自分の外側についた数字に過ぎないという意識があるが、もう「若さでどうにかなる」という年齢はとっくに過ぎているようだ。現在の生活でストレスはほとんどないはずなので、あとは身体や脳の働きを保つための健康づくりに取り組むのみである。


そういえば今日は昼間、飲み物をつくるために台所に立ったときに身体の軽やかさを感じた。倦怠感などを感じる箇所はないし、身体を動かすと何だかとてもスムーズなのだ。自粛生活の中、甘いものが食べたくなったりお肉が食べたくなったりと多少食生活が乱れた時期もあったが今はだいぶ落ち着いている。


ここのところスパイスを使ったカレーを作っているが、昨日作ったキーマカレーもどきはなかなかの美味しさだった。


昨日は先週購入した人参がしおれかけていたので、それらをみじん切りにしてキーマカレーのレシピでカレーをつくった。キーマカレーの具が、全て人参になったという感じだ。ご飯がわりに蕎麦の実を炊いたが、カレーが出来上がると「これはパンに乗せても美味しそうだぞ」という気がして、木の実の入ったパンに乗せ、さらにその上にチーズをスライスして乗せトースターに入れた。そしてそれが、思いの外美味しいチーズカレーパン(と呼んでいいのだろうか)となった。


「食べ合わせ」という言葉があるが、確かに食べ物は組み合わせによってその味わいが大きく変わる。それは単純な足し算ではなく、組み合わせると、組み合わせたもの自体のレベルが上がり、さらに新しい味わいがもたらされるようなそんな感覚である。


日本では陰陽五行に基づいた食べ合わせという考え方もあるが、それはどちらかというと、機能や偏りを補完し合うような足し算の感覚に近い。機能で見ると足し算なのだが、味わいで見ると単なる足し算以上の、場合によってはイリュージョンと感じるような変化が起こることが興味深い。


これは人間にも言えることだろう。人と人が協働することによって足し算以上のことが起こり、かつそれぞれの人のレベル自体も上昇するようなことがある。

そのための条件というのはあるのだろうか。

一つには、協働する双方が専門領域等によってある程度以上の能力をすでにもっているということが必要だろう。もし仮に片方もしくは一部の人が何か基本的なことをするのに他者の助けが必要な状態もしくは段階だった場合、その人を手助けするために力を使うことが必要になる。まてよ、それによって、能力の発揮が後押しされ、かつ支援する側も普段とは違う何らかの能力を発揮することになるのであれば、それも足し算以上の協働、双方に成長や変化が起こるような協働になるとも言えるのだろうか。


そう考えると「レベルの上昇」や「掛け算」の起こり方にも様々な種類があるのだろう。これは改めて実際に自分と他者の間などでどのようなことが起こっているのかについて検証してみたい。

今のところ、クライアントとのセッションにおいては、私はクライアントの成長もしくは能力の発揮を支援する立場だが、そのプロセスを通じて私自身の成長もしくは能力の発揮も起こっているように思う。実際のところ、双方の能力が発揮もしくは開発されるというのであれば支援者・被支援者という関係はなくなるのかもしれない。例えば子育てにおいて、子どもを育てることを通じて親自身が成長していくように。

そう思うと、今自分がコーチングを始めた当初とは違うテーマやクライアント層とセッションを共にしていきたいという気持ちの理由も納得がいくように思う。クライアントは一人一人違うし、決して「簡単」なテーマがあるわけではないが、例えば企業の中で主体性を発揮することを後押しするために用いられるコーチングは私の中では自分自身の成長の伸び代があまりないように感じ、退屈に思えてくるのだ。

自分自身の成長を第一にするとまた手段と目的が入れ替わってしまうので要注意だが、それでも、適切な課題のレベルを設定するということは必要だろう。そんなことを考えつつも、出会った人ひとりひとりと真っ直ぐに向き合っていきたい。2020.5.19 Tue 19:25 Den Haag

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