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979 モロッコの港町の景色から

大きな窓を開けると、ひんやりとした風が吹き込んできた。

昨日までバルコニーから見えていた海の景色は、プールの景色へと変わった。
それでも微かに揺れる水面を眺めるのは気持ちがいい。

今朝も随分と長い夢を見ていた。明日が社会の試験なのに、束になった伝票を数えないといけない。そんな話だ。

「試験前」の夢を見ることは多いが、それは大学生のときに試験勉強に悩まされたからだろうか。あれだけ時間と労力をかけたことが何だったかさえ今思い出せないと思うとなんだかもったいないけれど、好きなことを好きなように勉強できる今はとても充実しているとも思う。

昨日は約一週間を滞在した場所を離れ、新しい滞在先にやってきた。
同じエッサウィラの中だが、いくつかのコンドミニアムが並ぶ静かなエリアだ。

新しい滞在先は特段広いわけでもモロッコっぽさが強いわけでもなく(それでも大きなソファやインテリアは十分モロッコ感がある)、4月以降に滞在してきた家の中で一番「普通」という感じだが、小綺麗で過不足なく、希望していた「今月はしっかり考え事や仕事をする」が叶いそうだ。

何よりこの広さに対してシャワーとトイレのついたバスルームが二つあるのがありがたい。

昨日は夕方アジア料理のレストランで食事をした後、散歩をし、漁港を訪れた。
ビーチを歩いていると古い大きな船が港の上に並んでいて、それが少し「世紀末感」のようなものを醸し出していたけれど(「世紀末」はとっくにすぎて、当分やってこないのだと気づく)、その奥が実際に使われている漁港になっており、小さな船が所狭しと並んでいた。台の上に魚を並べて売る人たちもたくさんいる。小さな魚、大きな魚、赤い魚、長い魚。

呼び込みなどはせず魚を並べているだけだけども、そこにはとても活気があった。

人が自らのからだを使い、手を使い、とってきたものを売る。

9月に滞在していたマラケシュでは道端に、ゴミ箱から拾ってきたようなものを並べて売ろうとしている人たちがたくさんいたけれど、魚を売っている人たちはその人たちよりも自分が売っているものに誇りを持っているように思えた。

実際の人の心は分からない。少なくともわたしの受け取り方には大きな違いがあった。漁港にはお金を乞う人もいない。
雑然としているけれど、空港のような流れるエネルギーがそこにあった。今のところモロッコで訪れた場所で、いやこの数ヶ月の旅の中でも一番好きだと感じる場所かもしれないと思った。

奢りは人を盲目にするけれど、誇りは人の生きる喜びになる。そんなことを思う。

2021.10.13 Thu 8:03 Morocco Essaouira


エッサウィラの漁港の様子▼

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