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あわいろ、はじめます

あわいろ
~みんなが自分が自分を生きる、やさしい世界をつむぐ~

こんないまだけど、とか、こんなときだからこそ、っていう言い方はしたくなくて。悲しみに暮れるひとも、最前線で頑張ってるひとも、しんどい想いをしているひとも、前向きに生きようとする人もいる中で、こういう時だからこそって、私には言えない。
でも、これは、コロナがあってもなくても、いつだって、ずっと大切にしたいと思っていたことだから。それが、あふれてきたから いま、やる。
私自身、喘息持ちなこともあるしすごく危機感はある。
どうか、皆さん、無事でいてください
何かもっと、できることがあるかもしれない。
専門知に基づく危機の情報、しんどい状況の方への支援、
前向きに明るい発信…  くっきりしたものもとっても大切

でも、のんきかもしれないけど、
ただただぼんやりした不安や、こんな中でのちいさなちいさなしあわせ、声にならないもやもや、主張にはならないけど確かにある想いも、同じくらい尊いことだと思うから。
確かにそこにある大切なことに、そっと目をむけたい。

“主張”未満の想い、”相談”未満の悩み、”カウンセリング”未満のしんどさ
“しんどさ”未満のしんどさ、”しあわせ”未満のしあわせ、”生きづらさ”未満の生きづらさ、”やりたいこと”未満のやりたいこと
“言葉”未満の感情、”表現”未満の感情、”感情”未満の感覚
……“未満”って、なんだ

確かに感じている淡い色は
淡くても、無色じゃない
“未満”だからって、なかったことにしなくてもいい
何も言わなくても、何も表現してなくても、
それは、感じていないわけじゃない

キラキラしたもの、くっきりしたものも尊い
でも、もっと淡い、かすかな色も、同じくらい尊く、いとおしいから
そんな色も、そっとにじむ紙を、用意したい
うつろってもはかなくても淡くても、確かにそこにある、想いやしんどさや喜びを、そっと。



あわいろ
みんなが自分が自分を生きる、やさしい世界をつむぐ


自分を生きる、って、わからない
自分がめんどうくさくて、自分から逃げたくて、自分が嫌にもなる
でも、自分を生きたくて、もがく

向き合っても逃げても、笑っても怒っても泣いても、悩んでも葛藤しても、進んでも止まっても、繕ってもぐちゃぐちゃでも、大丈夫でも大丈夫じゃなくても、演じてもそのままでも、頑張るのも頑張れないのも頑張らないのも…
ぜんぶ、どこかで自分を生きたいという願いが、脈打っている気がして
ちゃんとそこに、”自分”がいる気がして

その生きざまが、きれいじゃないけど、美しい

わたしと、あなたと、誰かと
そう想い合える、やさしい世界を、紡いでいきたい


"あわいろ" 名前の、想い

1. 淡い色:ゆらめき、うつろう、はかない、ただよう、かすかな、でも確かにそこにある色を、いつくしむ
2. あわひ:(古語)ひととひととの間という意味らしい。わかりたい、けど、わかれない。ちがう、けど、つながれる、かもしれない。私とあなたと、誰かとのあわひを生きることを、そっとみつめる。
3. あわひ:(古語)きっかけという意味らしい。そんな淡い色が、がんばって表現しなくても、そっとにじむきっかけを。


"あわいろ" やりたいこと

(中身はあえてまだぼんやり。一緒に輪郭作ってください)

*あわいろカフェ:感じている淡い色を想いを、言葉を紡ぐ沈黙まで、そっと誰かとわかちあう、語り場                     ⇒去年から東京愛知で10回ほど 自分のこと、社会のこと、言葉のこと、ぼんやりと                              ⇒ぼんやりとした、淡い色を大切にするファシリテーション。団体さんへの出張も(去年1件)


*あわいろケア-うごめくいのちと-:”支援”、”福祉”、”教育”… 分野を超えて、誰かが自分を、いのちを生きるということとまじわるひとへ     ⇒人が生きるという、答えのない営みと向き合うひとへ。ゆらぎや葛藤や喜びを、そっと語り合い、いつくしめる場を。


・あわいろストーリー:成功や回復の結果で色づけしない、誰かの淡い色やゆらぎや葛藤を、そのままアーカイブしたい              ⇒インタビュー/冊子づくり構想中


・そのほかもろもろ、一緒に描きたい。 アイディア、ご一緒してくださる方、大募集

プロフィール いしかわあゆむ

○すきなこと・もの:透明なもの、ひとの想い、広島カープ、泣くこと、演劇、ひなたぼっこ、アート

○“あわいろ”の立ち上げ、きっかけの出会いいろいろ

映画「空の味」(塚田万理奈,2016)、地元での3.11、ボランティアスピリット賞、「夜廻り猫」(深谷かほる,講談社)、子ども食堂と無料学習支援、児童福祉施設での子ども、摂食障害、移動する子どもの授業、子どもの田んぼ里山活動、障がいのある方とのサークル、釜ヶ崎、演劇nanamomo、環境社会学、民俗学、文化人類学、子ども支援論、自分の大切な痛みを話してくれた友人たちの存在、、、

一つの明確なきっかけじゃないけど、その他にもたくさんの大切な出会いに感謝

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尊敬する友人の佐々木めばえ (https://note.com/sasakimebae) が私の言葉をみてデザインしてくれました^^ 
このページの画像が、切り取り前の全体の絵です         


あとがき:器用になりたいけど、器用になれない


こんなわたしでも、誰かといっしょに、わたしを生きられますか

“あわいろ”のメッセージを、一番届けたいひとは、私自身でもあります。

うつろう自分が怖い、誰にも必要とされてないかもしれない、傷つくのが怖くて傷つける
大切な人たちがくれる愛を信じられているのか、めんどくさい自分にうんざりする、、、

ずっと、自分の存在に、ぼんやりとした不確かさがあった
こんなにも、不器用で、醜くもがく、私の生きざまでも
自分を生きるということは、本当に美しいのか
それを、自分自身の表現をすることで、確かめたいのかもしれない

誰かに届けたいなんて、おそれおおいし、おこがましい
こんなもがき、不器用さ
わたしだけなんじゃないか
誰も見向きもしないんじゃないか 卑屈になりそうにもなる

それでも、大切なひとたちのおかげで
ちょっとだけ
自分の見ている景色を
自分の感じている淡い色を
自分のもがきを
不器用なまま、表現してみようと思えた

これでだめなら、あきらめて、少しは器用になろうとしてみよう
でも、1人でも何かを受け取ってくださったり
誰か、つながってくれるなら
誰か、この表現を愛してくれるなら
ここから、小さな何かが起こるなら
不器用な自分を、もう少し大事にできるかもしれない

これが、いまの自分のすべてだと思うから、やっぱり少し怖いけど
いま、淡い夢を見ています                    

2020.4.26 いしかわあゆむ   (6.11リンク追記)

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