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少し嫌だな、と思ったこと

昨日のバイトで、ギャン泣きしている男の子と近くに立っている祖母らしき人を見かけた。
この構図はたまに見かける。
男の子はまだ3〜4歳かな、大変だよなあと思いながら横を通りすぎた。
すると、祖母らしき人が「ほら、お店の人に言おうかな」と言うのが聞こえた。
案の定、子どもは「やだあ!!!」とギャン泣き加速。

こういうときは私からは何も言わない。
この家族の問題でしかないから。
それでも、この祖母と孫らしき人の存在で私は少し嫌な気持ちになった。
祖母の子どもに対する発言だ。
他にも「あ〜甘えん坊」や「恥ずかしいね」などと子どもに声をかけていた。

そのときの子どもは床にしがみついて泣いていた。
客観的に見れば恥ずかしいと言われるのもわからなくはないが、子どもだからまあよくあることだな、とも思う。
正直、子どもが泣いていることに関しては特に何も思わない。
何がそこまで気に食わなかったのだろう、とは少し気になるが。
それよりも、私は圧倒的に子どもに対してかける親や祖母の発言の方が気になってしまう。

あの祖母が嫌味ったらしく言っているというのは、おそらく子どもも理解していただろう。
私だって聞いていてすぐにわかったのだ。
嫌味を込めた攻撃的な言葉というのは、関係ない他人にまで嫌な思いをさせる。
しかもそれで「お店の人に言う」という発言をしていたのがさらに嫌な思いをした理由。
「ソト」の人間を持ち出すことで、あくまでも「ウチ」の問題でしかないことを解決させようとするところが、私は嫌なのだ。

そう言う人が本当に店員に声をかけてくることがないことは知っている。
それでも、別の存在を言い訳として問題を無理やり解決させようとするところが私は好きじゃないのだ。
特にこの場合は、子どもを言いくるめて言うことを聞かせようとするのが目的だ。
それに利用される、というのが気に食わない。

幼い頃に、私も同じようなことを祖母から言われていた。
だからこそ、あの子どもと自分を重ねて祖母らしき人に対して嫌悪感を抱いたのかもしれない。
周囲に聞こえるように大声で嫌味っぽく「わがままだね」「甘えん坊だ」「恥ずかしいね」などと言う姿。
本当に恥ずかしいのは誰なんだろう、と思わなくもない。

子どもは言われたことはきちんと理解していて覚えていたりする。
特に、こういう攻撃的な言葉ほど。
将来まで残るトゲになってしまったんじゃないだろうか、とあの子どもに対して少し同情してしまった。

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