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深遠の杜:八岐大蛇

「一昨年も去年も飢饉だった、また今年も飢饉になると? おばあ、いい加減にしてくれよ」

村一番の長老で、「おばあ」と呼ばれる占い師。
おばあの占いの結果に、村の長である男がため息をついた。

「嘘ではない。水害の星が出ておる。川は氾濫し、田は駄目になる」
「川の氾濫? あの川が氾濫なんてするのか?」
「昔は大きな氾濫があった。すっかり忘れ去られてしもうた。忘れられた頃に、災害は繰り返されるものよ」

黙り込んだ男。

「でもおばあ、今年も飢饉になったらそれこそみんな死んでしまうよ。なんとかならないのか?」
「……私の手には負えん。神社に行くとよかろう」
「神社? 神社って……まさか」

この辺りで神社といえば、川を渡り山を登った先にある、あの神社しかない。

「あんなところに行くぐらいなら」
「あの神社の力は本物じゃ。お前が本当に、飢饉から村を救いたいと思うのなら、神主に頼りなされ」

そうおばあに諭され、男はまた黙り込んだ。

「……若い者に行かせよう。私が行くには歳を取りすぎた」
「それが良い」

おばあは頷いた。


船で川を渡り、山を登り、見えた鳥居。
階段の途中には大きな屋敷がある。

その屋敷から、村からの使いを覗く一人の少女がいた。
巫女服を着て、茶色の長い髪を高い位置でひとつにまとめている。
髪を結ぶ紐には鈴がついていた。
少女の名前は日和ひより

「お客さんだわ」

ぱたぱたと屋敷から駆け出し、参道とは違う道を通って神社に駆けていく日和。

「お父さん、村から誰か来たよ」

境内を掃き掃除していた、日和の父親。

「日和、少し落ち着きなさい。村からの使いということは、何かあったんだろう。屋敷に戻ってなさい」
「えーでも」

そうこうしているうちに、使いが鳥居をくぐって現れた。

「あれ、京介だ! 久しぶりだね!」
「あ、日和……」

京介と呼ばれた使いの男は歯切れが悪い。

日和は気にせず京介に手を振ると、ご神木を見た。ご神木の近くに立っていた朔夜。朔夜の姿を見て目を輝かせる日和。

「あ! お姉ちゃん!」
「こら、日和!」

日和は父親の制止を振り切り朔夜の元へ駆け寄る。朔夜は木の陰に隠れたため、京介が朔夜の姿を見ることはなかった。

「お姉ちゃん久しぶり! 」

にこにこと笑いながら話しかける日和をじっと見て、少しだけ笑みをこぼす朔夜。

「相変わらずだね」
「私は元気だよ! お姉ちゃんは?」
「……うん、元気だよ」

朔夜はちらっと父親と京介を見ると、何か複雑そうな表情を浮かべた。

「京介に会わないの?」
「私はやめた方がいい」
「えぇー、京介もお姉ちゃんに会ったら喜ぶと思うのに」

ご神木の陰にいる朔夜と話している日和は、京介たちの方から見るとご神木と話しているよう。

「日和の姉ちゃん、まだ修行してるんですか」

京介はまだ、村の中ではこの神社に住む家族たちと交流がある方だった。日和と同い年ということもあり、村にたまに下りてくる日和とは話をする。

日和はお姉ちゃんがね、とよく朔夜の話を京介にしていたが、京介自身は朔夜に会ったことはない。

朔夜はたまに神社にやってくる京介の姿を見て知っている。一方認知だ。

「ずっと岩屋に篭ってるんだよ。珍しく下りてきたみたいだが」

楽しそうに話している日和の姿を見る京介。朔夜の姿を回り込んでまで見ようとは思わなかったが、日和がいつも言う言葉をふと思い出した。

『とっても綺麗で、私の自慢のお姉ちゃんなんだよ!』。

そんな人なら、何故修行などしているのだろう。

「それより、わざわざ君が来たってことは村で何かあったんだろう?」

日和の父親に言われてはっと我に返った京介。

「おばあが、今年は水害の星が出ていると」
「水害……川の氾濫か?」
「はい」

父親の話が耳に入ってきた朔夜。

「川の氾濫」

ぼそっと呟いた朔夜に、首を傾げた日和。

「川の氾濫?」
「川の氾濫って、ヤマタノオロチによって引き起こされるものなのよ」
「ヤマタノオロチ?」

さらに首を傾げた日和を見て、苦笑いした朔夜。

「忘れたの? お父さんから聞いた話でしょう?」
「そんなの聞いたっけ? お父さーん」

父親の方に駆けていく日和。

京介と話していた父親が振り返った。

「日和は早く戻ってなさい」
「ねえ、川の氾濫で村が困るの?」
「……聞こえてたのか」
「お姉ちゃんが」

あぁ、と小さく呟く父親。

「朔夜なら聞こえたとしてもおかしくない」
「日和、何か知ってるのか?」

京介が日和に思わず詰め寄る。

「……近いよ」
「あぁ、ごめん」

頭を振って父親にもう一度問いかける。

「川の氾濫って、ヤマタノオロチが起こすって本当?」
「ヤマタノオロチだって?!」

叫んだのは京介だ。

「京介うるさい」

顔をしかめた日和。

「あ、あぁ……ごめん」

二度日和に叱られた京介は意気消沈してしまった。そんな京介を無視して、父親を見る。

「そうだよ。日和、忘れてしまったのかい? 父さん話しただろう?」
「だって……随分前の話だから」

いじけた日和を見て苦笑する父親。

「ヤマタノオロチが目覚めて、暴れるとと氾濫が起きる。ヤマタノオロチが目覚めることはしばらくなかったから、おそらく暴れるだろう」
「鎮めることって、出来ないの?」
「出来ないことはないが…かなり難しいぞ」

父親が日和を見る。

「鎮めるにはヤマタノオロチの近くに行くことになる。強力だからここからだと力が届くかどうか。山の下を流れてる川の、かなり上流の方にいるはずなんだが、眠っているときはどこにいるのかが分からない」
「危ないの?」
「危ないよ」
「それが起きたら、川が氾濫するの?」
「そうだな、暴れるから」
「じゃあ鎮めに行かなきゃいけないじゃん。危ないよ」
「日和は本当に簡単に言うな……」
「私が行くよ。やめてくれるように話しに行く。私だって巫女だもの、そのぐらいは出来るはずよ」
「…そうだけど」

京介はどこか不満げだ。

「危ないじゃん」
「でも、村の方が危ないでしょ?ね、お父さん。私じゃダメ?」
「日和か…でも、日和一人だと不安だから、お父さんも一緒に……」
「お父さんは行っちゃダメよ。私が行く」

ずっと話を聞いていた朔夜がご神木の影から姿を現した。

「お姉ちゃん」
「え、あれが日和の姉ちゃん?」

京介は初めて見る。

「お父さんは、村を守るためにもここにいた方がいいわ。私がこの子と一緒に行く」
「しかし」
「私が残るよりも、お父さんが残った方がいいわ。それに、お父さんよりも私の方が合ってると思う」

考え込んだ父親。

「まあ、それもそうなんだが」
「お願い、私に行かせて」
「そこまで言うなら。にしても、珍しいな。朔夜が行くと言うなんて」
「え?」

少し焦る朔夜。

「まあ、朔夜と日和が行くなら大丈夫だ。京介くんは村に帰りなさい」
「え、でも」
「話はこの神社で受けたと、おばあに話しなさい。大丈夫、何とかしてみせよう」
「あ、はあ…」

ちらっと朔夜と日和を見て、頭を下げた京介。

「じゃあ、帰らせてもらいます。ありがとうございました」
「あ、京介! 階段のところまで送るよ!」

日和が京介と歩いて行く。

「朔夜」
「何?」
「日和を頼んだぞ」
「……明日の朝発つわ。あの子にも伝えておいて」
「え、ちょ、朔夜」

朔夜は岩屋への道を歩いて行く。

「お父さん! あれ、お姉ちゃんは?」
「行ったよ。明日と朝発つと言っていた」
「えー、話したいことあったのに。でも…明日会えるならいっか。準備してくる!」

日和は家に駆けていく。

#

「お父さん! 行ってくるね!」
「ほら、行くよ」

手を振る日和に声をかけてどんどん階段を下りていく朔夜。

「ま、待ってよお姉ちゃん。お姉ちゃんって外に出たことある?」
「……ないけど、ヤマタノオロチの気配を辿ればいいんでしょ?」
「分かるの? お父さんは眠ってたらどこにいるか分からないって言ってたけど」

朔夜は答えない。

山を下りて川の近くに着く。

「上流に行くんだよね。舟だと漕ぐのが大変だから、河原があるし、ここを歩いた方が早いよ」
「物知りね」
「お母さんが言ってたから」
「……お母さん?」

朔夜が首をかしげる。

「あっ……ううん、何でもない。行こう、お姉ちゃん」

日和がどんどん歩いていく。

「ねえ、待ってよ」

朔夜も後を追う。

#

「この辺?」
「だと思うけど」

川幅が狭くなってきた上流。

「本当に、ここ?」
「のはずなんだけど」

どこか朔夜も自信なさげだ。

「普通の川だよね」

日和は辺りをキョロキョロと見回して、あ、と呟く。

「なんか変なのいる」
「変なの?」
「うん。あの辺」

日和が指差した先を見る朔夜。

八つの頭に八つの尾。

さすがの朔夜も顔が引きつった。

「あれがヤマタノオロチよ」
「え? これが?」

じーっとヤマタノオロチを見つめた日和。

「まだ寝てるみたい。起こさないように……」
「かっこいい」
「え?」

ばっと朔夜を振り返った日和。

「ヤマタノオロチかっこいい。惚れそう」
「え、えぇ?」
「あんなかっこいいのに、村に災いを起こすわけないよ。ねえ、お姉ちゃん。話に行こう」
「あ、待って、ねえ。まだ寝てるのに起こさなくても」

川を渡っていく日和の後を慌てて追う。

#

「ヤマタノオロチさん?」

日和が一つの頭をつつく。

『……寝ているところに人の子が話しかけるとは珍しい』

日和がつついた、一つの頭の目が開いた。

「あ、起きた」

なんだか日和は嬉しそうで、朔夜はため息をついた。

『そちらは人の子ではあるまいな』

ヤマタノオロチの言葉に目を見開いた朔夜。

「私たちのことには触れないで」

少し固い表情で、日和の腕を引っ張った朔夜。

「どうしたの? お姉ちゃん」

不思議そうな顔で朔夜を見る日和。そこで気づいた。日和には、このヤマタノオロチの声は聞こえていないのだ。

『面白い。私の声が聞こえているのだな。鬼の子なら無理もない』

はめられたような気がした。

「勝手なことを」
『姉妹ということは、この人の子も鬼の子なのか。あぁ、確かに人の子にしては面白い力を持っている。人の子は気づいていないようだが』

日和には聞こえていない。それだけを考えて朔夜は反応しないようにした。

「お姉ちゃん?」
「何でもない。あなたに話があってきたのよ」
『おや。鬼の子が何を言う』

いつの間にか八つの頭、全てが目を覚ましている。

「氾濫を起こすのはやめてちょうだい。村の者が飢えて死に絶えてしまうわ」
『それは私の知ったことではないな。私は起きたいから起きる。ただそれだけだ』
「そんな……ただでさえ、村は飢饉が続いていたのよ? これで氾濫なんて起こされたら」
「お姉ちゃん、ヤマタノオロチさんと話してるの?」

はっと我に返った朔夜。

「そうね、聞こえてないんだったわね。ごめん」
「ううん。私も、話せたらいいのになあ」

残念そうにヤマタノオロチを見上げた日和。

『……普通の人の子なら、眠っている私を見ることも触ることもできないはず。声は聞こえずとも、それを為したこの人の子は、私と話す力があるのではないか? 違うのか、鬼の子よ』
「それは……」

朔夜はうすうす気づいていた。だから日和とは少し距離を置いていたのだ。

「でも、今のあなたとはこの子は話せないわね。私のことを、そんな風に呼んでいる限り」
『鬼の子と呼ばれるのが嫌いか』
「この子には伝えていないの。あなたから知らされたくはないわ」
『これは驚いた。それほどまでに鬼の力が強いのに、人の子に隠し通してきたというのか』
「私たちのことは関係ないでしょう?」
「怒らないでよ、お姉ちゃん」

ヤマタノオロチに近づき、頭を撫でた日和。

「何を話してるのかは分からないけど、喧嘩しちゃダメだよ。私とお姉ちゃんは、ただお願いしに来ただけだから。怒らないで」
『健気な人の子ではないか。私のこの姿を見ても、逃げもしなかった』
「……逃げなきゃいけない理由がないから」

あれ、と目を丸くしたヤマタノオロチ。

『私の声が聞こえるのか』
「聞こえた。ねえ、ヤマタノオロチさん。お願いだから、氾濫は起こさないで」
『……人の子の姉よ。どういうことだ?』
「たまに、この子はこういうことができるのよね」

苦笑した朔夜。

「お願い、みんな死んじゃう」
『……人の子よ。そなたは村の者を救いたいのか』
「うん。そのためなら、私が死んでも」
「やめなさいよ」
『面白い子だ。分かった、そなたが生きている間は、目覚めても暴れないことにしよう。それでいいな?』
「え、いいの?」
『ああ。ただ、そなたが死んだらその後は分からない。それでもいいなら、約束しよう』
「お姉ちゃん」

朔夜を見た日和。

「……別に、悪い条件ではないわよ」
「本当? お父さんも怒らないかな?」
「ええそうね、数十年の安全は守られるから」
「え、じゃあそうする。ヤマタノオロチさん、ありがとう!」
『では、それでよいのだな? 人の子の姉も、よいのだな?』
「ええ。あなたが素直に話を聞いてくれるなんて、意外だったけど」
『私も、困らせるために暴れているのではないからな。こうして、わざわざ私の元まで来て、お願いしてくれるなら聞かないわけにもいかないだろう』
「優しいんだね。私、惚れちゃった」
「……はあ?」

えへへ、とヤマタノオロチに抱きついた日和。

「またいつか来るね。それまで元気で」
『そうだな。また会えると良いな』
「ありがとう」
「……あれ、声聞こえなくなっちゃった」

残念そうな日和。

「また、会えるといいなって言ってたわよ」
「本当? じゃあ、またいつか! お姉ちゃん、帰ろう」

じゃあねーと大きく手を振った日和。

#

「ただいま」

父親に抱きついた日和。

「おぉ、おかえり。日和も朔夜も、無事だったか」
「氾濫は起こらないわ」

朔夜は父親にそう一言告げて、ご神木の方に歩いていく。

「上手くやったのか」
「うん! あのね、私が生きてる間は氾濫を起こさないって、ヤマタノオロチが約束してくれたの!」
「…面白い約束をしてきたな」

小さく笑った父親。

「これでいいんでしょ? 私は帰るわ」
「あ、お姉ちゃん! 一緒に出かけたの、楽しかったよ! また、出かけようね!」

そう声をかけられて立ち止まった朔夜。

「また、があったらね」

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