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大学が遠いという愚痴と、ちょっとした昔話

私が通っている大学は家から遠い。
片道2時間半から3時間ほどかかる。
なんでこんなことになったのかというと、国立大学しか行けなくて選択肢がなかったから。
家から通える範囲の国立大学なんて、選択肢は多くならない。

ただ、さすがにこの距離は元から通学できる範囲なのか? と思わなくもない。
私だってそう思っている。本来なら下宿をする距離だ。
それでもこうなってしまった主な原因は、コロナ禍にある。
20年入学生だった私は、大学入学とコロナ禍が丸かぶりした。
そのためにオンライン授業での始まりとなった学年だ。
通学をする必要がなかったのだ。

それにしても、となる距離。
私は元から親と仲が良くなかったため、一人暮らしをしたかった。
大学に行くなら一人暮らしをしたかったし、そうでないなら実家暮らしでもいいから就職をしたいと思っていた。
大学に行くなら家から通える範囲の国公立大と昔から言われており、それは学力的に無理だから高卒で就職しようとずっと思っていた。
それがこんなことになってしまった。

高校三年生になったときにはすでに親と仲が悪かった。
いつから親と仲が悪いかを考えてみたら、おそらく小学四年生くらいからだったと思う。
その前から親に対しての不信感があったことは覚えているが、小学四年生の頃には早く家を出たいと思っていた。
だから高卒で就職したいと思っていたし、大学に行きたいとも思っていなかったのだろう。

就職したかったから、高卒で公務員試験を受けていた。
高校がそれなりの進学校であったため、就職をするなら公務員しか選べなかった。
そうでなければ学校側の支援がなかった。
正直、公務員だとしても支援はなかったけど。笑
それでもずっと父親からは反対され、三者面談でも「高卒で就職したって何にもならない」と言われ。
三年後期の段階で、私の心が折れて大学進学に進路を変えることになった。

そんな時期に受験に切り替えたのに、相変わらず親は国公立大じゃないと行かせられないと言っていた。
どうせ行けないから、と私立大を受験することすら否定された。
その上で浪人もダメだと言われていた。
当時の私がどれだけ追い詰められたことか。
大学受験なんて考えていなかったし、夏休みも過ぎていたため、本来なら基礎を終えて過去問に本格的に取り組んでいかなくてはならない時期。
あのときはかなり苦しんだ。

結局大学に受からなかったため、浪人をすることになった。
そんな感じでも、現役時のセンター得点率は58%とかだったと思う。
国公立大に入るには低いけども、状況を考えるならよく取ったね、と自分を褒めたくなる。

高校の担任には本当に色々と迷惑をかけた記憶しかない。
「あなたのお父さん、こうと決めたらこう! って感じだね。あなたの話もあまり聞いてくれない感じしたね」と担任から言われたときは泣きそうになった。
あの三者面談で、そこまで感じ取ってくれたんだなって。
あの担任は本当にいい先生だった。

あまり大学に行きたくないまま浪人して大学に入ってみれば、今度はコロナ禍。
コロナ禍でなければ通学の大変さを盾にして、強引に一人暮らしに持ち込むこともできたかもしれない。
それとも、相変わらず自宅通学のままだったのだろうか。
コロナ禍でオンライン授業となってしまったことが、良かったのか悪かったのかは分からない。
ただ、大学に行った意味があったのかどうか、と改めて考えてしまったくらい。
オンライン授業ってこんなに記憶に残らないんだ、と呆れてしまった。
おかげで、この大学四年間で何を学んだか? と聞かれてもうまく答えられない。
何を学んだんだろう。

なんでこんなことになったのかなあ、と4年の後期になった今でも思っている。
今日の通学は心が折れた。
人身事故での運転見合わせに思い切り巻き込まれたから。
家を出てから大学まで3時間半かかった。どうして。
あと半年もないからここまできたら頑張るしかないが、どうしたって愚痴くらいは言いたくなってしまう。
今日はそんなぼやき。

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