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文体の好み

いろんな本を読んだり、SNSで他の人の文章を読んでいて、私が読みやすいと思う文章の傾向が分かってきた。
自分が書く文章と似ている文章を書く人は、読みやすいと思う。
文のリズムとか、言葉の選択とか。
自分と似た文章を書く人は思考回路も少し似ていたりするから、読みやすいと感じるのかもしれない。

私は自分の文章を読みやすいと思ったことはあまりないけど、自分が分かりやすいように文章を書いている結果がこれだから、こういうものだと開き直っている節がある。
たまに自分で何を書いてるんだ? と分からなくなる瞬間もあるから、本当に分かりやすいのかどうかは疑問だけど。
それでも難しめの言葉は使わずに、普段の会話で使うような言葉しか使わないと決めている。
思ったことを書いているだけのエッセイというか日記というか、こういう文章だと特に。
自分の思考をまとめるわけでもなくそのまま書いてるから、考えているときに使う言葉がそのまま出てくる。
難しい概念で物事を考えるのはどうも苦手らしい。

小説ではもう少しちゃんと考えて文章を書くけど、基本的に難しい言葉は使わないなあ、と思った。
似た表現を使いがちかも。同じ表現が連続してて、類語辞典で検索をかけたりもする。笑
そもそも私の小説は情景描写が少ない。
季節も特に決めていなかったりするから、描写がなさすぎて話の中では今は何月? みたいに考えることも多々あり。
一応決めてるときもあるから、読み返してるとたまに季節描写が出てきたり。思ってた季節と違ったときは我ながらびっくりする。笑

どういう文章がいいのかなあとよく考えるけど、文体って思っているよりも自分ではなかなか変えられないクセだと思ってる。
その割に、他人の影響を受けやすい。
他の人の小説を読むとすぐに影響を受けて地の文が変わってしまう人。単純なのかな。
なんだかんだで文章を書いてる期間は長いから、過去に書いた話がふとした瞬間に出てくるのだけど、本当に文章が違う。
こう考えると成長しているんだなあ、とは思う。あまりにも幼い文章を書いていたからどういう感じなのかは載せないけど。笑

私の文章のリズムがどこから来てるのか考えてみて、おそらく赤川次郎の文章のリズムから来ているのだろうという結論を得ている。
赤川次郎の本を読んでみたら分かると思う。地の文の感じとか、たぶんここから来てる。
小学生の頃にかなり読んでて、一番文章が読みやすかった記憶がある。
きっとそれが元になってしまったんでしょう。
東野圭吾とか宮部みゆき、東川篤哉、湊かなえとかいろんな人の本読んでたんだけどね。
自分にしっくりくる文章って割と早い段階で決まってしまうのかもしれない。

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