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余裕がなかったんだろうなあ、と思う

気温が下がって寒くなり、日が短くなって冬至を迎えた。
ここから先は日が長くなっていくという。
冬至は太陽の再生の日なんて言われていたりもして、なんとなく嬉しく思ったりする。
私もここから再生して生まれ変わったりしないかな、なんて他力本願みたいなことを考える。

そうこうしているうちにクリスマスも過ぎ、いよいよ年末という空気になってきた。
年末は時間の流れが早い。
実はこの文章を書こうとしていたのは冬至だった22日なのだけど、気づいたらもう27日になっていた。
だから最初で冬至の話をしている。

どうしてこんなことに? と思っていたけど、23,24日はバイト、25日はライブ、と忙しく過ごしていたこと。26日はその反動でほとんど寝ていたこと。
そんなこんなで気づいたら27日に。
師走ってすごい。一度タイミングを逃すとこんなことになってしまう。

就活も終わり、卒論も終わり、かなり落ち着いた大学4年の冬。
高校生の頃から少しずつ読まなくなっていった本の世界に、また戻りたいと思い始めた。
大学生になってから読む本は、ほとんどが新書などの授業で使う教科書たち。
それらの本にうんざりしていたのかもしれない。

大学生になってから読んだ小説本は、数えるほどしかない。
記録は残していたから、数えてみた。12冊だった。
あれだけ本を読んでいた小中学生の頃の私からすると、考えられない数字だ。

読みたくはないけど読まなければならない本たち。
小説のようにスッと読めるわけではなく、内容を理解するのに時間がかかって、とにかく読むのに時間がかかる本。
いろんな余裕を失ってしまった私は、小説を読む余裕もなくして遠ざかってしまっていた。
最近になって、やっとその余裕を取り戻してきたような気がする。

映像作品を見ることは昔から苦手だったけど、最近は映像作品も見るようになってきた。
相変わらず長い作品を見るのは少し苦手。
10分くらいずつに分けながらのんびり見ている映画もあったり、気にならずにずっと見れる映画もあったり。
アニメも見るようになって、心に余裕が生まれてきたのを感じた。

自分が思っていたよりも、心に余裕がない大学生活を送っていたのだろうか、と思う。
入学と同時にコロナ禍になり、最初の生活リズムの変化をうまく掴むことができなかった。
オンライン授業はびっくりするくらい頭に入ってこなくて、実家で暮らす私は親が勝手に部屋に入ってくることに怯えていた。
親の足音にも気が散って、授業に身など入らず大学の授業を面白いと思えることもなかった。

大学の授業が面白いと思えるようになったのは、対面授業が再開されるようになった3年生になってから。
学芸員関連の授業を取っていたため2年生から対面授業はちらほらあったが、自分の専攻にあたる法学の授業で対面授業をメインに行われるようになったのは3年の後期からだった。
対面授業になってから法学にも興味を持てたものの、それがあまりにも遅かった。
コロナ禍で失われたものが多かったと、そこでやっと気づいた。

コロナに異様に怯える母親と、公務員のためコロナに感染することを警戒していた父親。
そんな親と暮らす実家だったため、2年生になってもいろんな制限を受けていた。
バイトをすることもできない、そのためにお金がない、一人暮らしをすることもできない、教習所に通うことも反対され、何もできない生活になっていた。

2年の後期では週に3回ほど大学に行っていたものの、100キロを超える距離だったのもあって通学が往復6時間ほどかかる。
集中講義の影響で2週続けて5日連続登校をした結果、体調を崩して最終日を欠席することになり、単位取得がギリギリになったこともあった。
親との不仲が祟ってご飯がないことも多く、家の食料を勝手に使うと怒られることもあって、3年春の健康診断でBMI16を切って呼び出しを受けた。
そんな生活を送っていた。
変な大学生活だったなあ、と思う。

3年生になる頃に、親に何も言わずに面接を受けて「ここでバイトするから」と押し切って始めた、今のスーパー銭湯のバイト。
最初の頃はやはり余裕がなかったものの、3年の後期にもなれば家よりも大学よりも安心できる場所になっていた。
家の居心地が悪くて、パソコンと本を持ってバイト先の隅の席で勉強をしたことは一度や二度ではない。
社員や他のパートさんたちも気づいてはいただろうけど、そこを深掘りしてくる人たちではなかった。
だから居心地がよかったのだと思う。
大学生活の一番の思い出がバイトというのもどうかとは思うけど。笑

何はともあれ、とにかく私は大学生活を乗り切ったし、卒業できそうな目処も立った。
あとは少しの間のんびりとできたらいいな、なんて。

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