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「鳴尾浜の鳥谷は見たくない」 私はあの日、ボロボロのスターを見た

鳥谷敬の移籍先が決まった。世の中は目に見えぬウイルスに生活を脅かされ、見通しもつかぬままNPBプロ野球開幕の先送りも決断された。そんな騒然とした状況下、鳥谷の動向を把握したのは正直久々だった。
野球はひとりではできない。プレーするチームがなければ、野球選手は野球を続けられない。できるのにできない。したくてもできない。そんな状況が、通常であればあと10日で開幕を迎えるこの時期まで続いていたことに、改めて驚いた。このままロッテの英断がなければ、鳥谷はどうするつもりだったのだろうと、冷や汗をかいた。

「鳴尾浜の鳥谷は見たくない」

鳥谷の去就を案じて振った話題にこう答えたのは、ファン歴=年齢の、生粋の阪神ファンだ。鳥谷の出場機会は明らかに減っていた。ベテランと呼ばれる38歳。球団の鳥谷に対する期待や要求も変わって当然だ。ファンはただ、見守るしかない。そんな中、阪神ファンの彼は、二軍本拠地でプレーする鳥谷の姿を想像し、そうつぶやいたのだった。
ファームは、若手選手の育成の場であるとともに、一軍の働きに満たない選手が “落ちる場所” でもある。チーム事情による単なる入れ替えや順番待ちという印象もあるが、一軍でプレーできないこと自体、プロ野球選手にとって不本意なことに変わりはないだろう。
鳥谷は、阪神の顔だ。人気、実力ともに兼ね備えた、阪神を背負って立つスターだ。そのきらびやかな星が堕ち、鳴尾浜というファームを耕す姿を見るくらいなら、いっそ潔く引退してくれた方がいいという価値観に触れ、私はある引退を思い起こしていた。

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池山隆寛の引退試合は、テレビ観戦だった。生中継だったのか録画だったのかも覚えていない。振り返るとその日は、2002年10月17日。家と職場の往復だけの、それは忙しく仕事をしていた時期だった。神宮に足を運ぶどころか、野球を見た記憶もほとんどない。毎日帰宅が23時ではあったが、プロ野球ニュースも見ていたかどうか分からない。そんな、生活に追われ完全に野球から遠ざかっていた私が久々に見た池山は、私の知る池山隆寛ではなかった。

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池山の出場機会が減っていることは、前年日本一となったヤクルトを見て察していた。池山のいるはずのショートには宮本慎也。押し出された先のサードには岩村明憲。2001年日本シリーズの舞台は、池山を控えに追いやった少し下の世代がスタメンに名を連ねていた。
ヤクルトファンにはあまりに印象的な最終打席。延長10回、飯田哲也と稲葉篤紀がつなげて池山に打席を巡らせ用意したことも、後日談として知ったことだ。バットを振る池山。しかし、膝を痛めていた池山は、バッターボックスで転倒する。池山の膝が、振ったバットの遠心力にも耐えきれないほど踏ん張りの利かない状態まで悪化していたことに、私は愕然とする。

池山が、池山じゃない。

私は焦った。見てはいけないものを見てしまった感覚。あの池山が?池山じゃなくなった池山を目の当たりにし、完全に戸惑っていた。
そんな私の思いをよそに、池山はバッターボックスに立ち、全盛期とは別人の姿をさらしていた。私はこのことをどう受け止めようか、少し考えた。

思えば、私は池山の “一つ先輩” だ。私がヤクルトファンとして1シーズンを終えたオフのドラフトで、池山はヤクルトに入団した。人気はすぐ出た。ブンブン丸。イケトラコンビ。サイクルヒット。背番号1。池山は、野球ファンをワクワクさせる野球選手だった。池山を見ることが楽しくて、強いヤクルトと同様、池山も未来永劫続くものと、私は勝手に決め込んでいたのだろう。
池山にも、当たり前だが、引く時がきた。それを池山自身が認めて、選んで、決めて、立ったあの打席に、私は立ち会ったのだ。

あの日、池山隆寛という野球人生に圧倒された。あの日あのとき、私は、ボロボロになったスーパースターを見た。ひとりの野球選手を、入団から引退まで見届けた。これが、野球ファンの醍醐味だ。

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「鳴尾浜の鳥谷を見たくない」と言った阪神ファンは「ロッテ、ありがとう」「同じ縦縞だから似合うよね」と、まるでヤクルトファンのような発言をしていた。別の阪神ファンは「ユニフォームを買おうかな」「マリンに見に行こうかな」と胸躍らせている。阪神ファンが、鳥谷の野球がつながったことに、ただ感謝していた。しかし、鳥谷がこれから野球を続けるということは、浦和の鳥谷を見るかもしれないということだ。

そんな鳥谷を見たくない気持ちは変わらないかもしれない。しかし、落ちる前に去る決断をしなかった鳥谷の気持ちを、どうか汲んでやってほしい。そして、鳥谷敬という野球人生を、どうか最後まで見届けてみてほしい。それはきっと、かなり楽しいぞ。

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