「ミイラ取りがミイラになる」は怖い表現なのか
最近、卒業論文で「ミイラ取りがミイラになる」という表現を使用することについて苦悩していた。表現の豊富さといいい本当に日本語は難しい言語である。
日本語が母語なので英語で卒論を書いていても頭の中で思いつく適切な表現はいつも日本語。そんな日本語の婉曲表現に時には疲れを覚え、もっと直接的に表現できればいいのに!と思ってしまうこともある。だからと言って英語で直接的に表現してもいくばくか文章に物足りなさを覚える。何ともバランスをとるのが難しい。
執筆活動に限らずとも、日本語話者の中で日常で多く見られる難儀な婉曲表現にストレスを覚える人も多いのではないか。
「ミイラ取りがミイラになる」とは
ミイラ取りがミイラになるは主に二つの意味を持つ言葉である。
一つは、誰かを探しに行った人がそのまま行方不明になり、
逆に探される立場になること。
もう一つは、相手を説得するつもりであったが結果的には言葉巧みに丸め込まれて
その相手と同じ意見になってしまうことである。
自分が意図しているように物事が運ばないことを表現する時に使用する言葉であるが、語源については私が調べた限りでははっきりとした情報はつかめなかった。
ミイラといえばエジプト、かつて古来のエジプトではミイラから取れる薬を万能薬を重宝していたため、これらを求めて多くの人が砂漠を彷徨っていた。そのうち乾燥した砂漠に耐えられず、その人たち自身がミイラになったとかなっていないとか… あくまで上記の参考文献にも載っている情報に過ぎないので信頼度については悪しからずご容赦を。
英語に該当する表現は存在するのか
さらに面白いのは、「ミイラ取りがミイラになる」と
同義語の英語は”Many go out for wool and come home shorn”
訳:羊の毛を刈ろうと思ったら自分が刈られて帰ってきてしまった
である。
もし、「ミイラ取りがミイラになる」を直訳したら
”A mummy-hunter gets lost and become a mummy"とでもなるだろうか。
しかし前者の方は、「あー返り討ちにあっちゃったよ笑」みたいな緩さを文章内に持っているが、後者の直訳は「最終的にはミイラになりましたよ😱」
と言うゾンビ感、いわばバイオハザードの世界を想像させる怖さである。
少なくともこの表現を使われたら、笑い事ではなさそうな状況を想像させるのだ。
英語と日本語の表現の難しさ
「ミイラ取りがミイラになる」→「ミイラ取りに行ったら自分がミイラになった」
→「相手に言葉巧みに丸め込まれてしまい、同じ意見になってしまった」
ここまで派生して言葉に含有する意味を読み取る婉曲表現も難しいものである。
最後の「相手に言葉巧みに丸め込まれてしまい、同じ意見になってしまった」と言えばいいのを「ミイラ取りがミイラになる」と遠回しに婉曲表現を使うのも難しい。
この婉曲表現、遠回しと言うよりは主に円滑な人間関係を保つため、相手に角を立てないためではあるが現在の日本でも日常会話において多く見られる。
なかでも有名なのは京都人の婉曲表現だろう。
「ミイラ取りがミイラになる」とは異なり直接的に内容を比喩するものではないが
相手に角を立てないように、遠回しに事象を描写する様子が窺える。
「いい時計してはりますなあ」(訳 時計見ろよ何時やと思ってんねん)
「お子さん元気でよろしおすなあ」(訳 子供騒がしいねん 静かにさせんかい)
このような婉曲表現、一見すると誉められているように見えてしまう。
表向きの意味と本当の意味があまりにも違う。
千賀のフォークばりの落差である。
田舎出身の僕なら「ありがとうございます!」「そうなんですよ!家でもこんな感じでしてね!」と文章通りに受け取りそうである。怖いぜ。京都。
もちろん負の側面だけでなく日本が婉曲表現を好むのは農耕作業や商業などで古代から「和」を重んじる国民性の表れであり一種の誇るべき伝統文化だと
捉えることもできる。
そして他言語、特に英語においても婉曲表現は存在している。
英語で婉曲のことを”ephemism"と呼ぶ。婉曲したいことは下品な表現や直接的に表現すると相手を不快にさせる表現に多く見られる。
例えば、トイレに行く。今まで英語ネイティブやオンライン英会話のフィリピン人講師は以下のような表現を用いていた。
I will have a bio break(トイレ休憩行きます)
do my business(トイレをする)
go to bathroom(トイレ行く) など
多くの表現が存在するが
共通するのは、”行為に直接言及しないこと”である。
bio(生物学的) business(用事)bathroom(部屋の名前)など
隠すべき行為には、相手を不快にさせないという意志をこれらの表現からは
読み取れる。
「ミイラ取りがミイラになる」と言う表現は英語において相手を不快にさせる表現なのかは明確にはわからない。
しかしながら英語と日本語にも共通する婉曲表現における”配慮の意識”は見られるものの、
日本語ほど難しい婉曲表現を持ち合わせる言語も存在しないのではと思って
しまう。
一度京都人の話に戻るが、
「いい時計してはりますなあ」” your watch looks great!”
をもし英語で言われた時に 京都人として
” Your watch looks great!”(時計ステキ)
→" he secretly tells me to check the time"(彼は時間を見ろと言っているのか)
→” He wants me to get home" (はよ帰れと言うことなのか)
という思考にはならないだろう。
いくばくか脱線しすぎたが英語で「ミイラ取りがミイラになる」は
直接的な表現であるのでは、と思うのである。
"turn the tables"なんて表現で収めたい。
バランスは大事
婉曲表現を見ると
日本語って何て難しい言語なの😱
と言う声がどこからともなく聞こえてきそうである。
だって、ことわざ一つで2つ、3つ先のことまで考えるなんて難しいですやん…
でも、そんな難解な言語を操る我々は相当優秀なのではないか。
「相手を尊重して2つ3つ先を考える(空気を読む)日本人」
「相手との違いを理解して関係性を深める欧州人」
どちらが優秀かなど優劣をつけることはできないが国民性の違いであることには
違いない。
そんな我々日本語話者も「ミイラ取りがミイラになるぜ!」と相手に直接的に表現できる機会は積極的に増やしていきたいものである。相手に角を立てないようにと婉曲表現ばかり使っていても人間関係でのストレスが増大していくだけですし…
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、ポイズン。。。
ほな、そろそろ、ぶぶ漬けでもどうどす?
ではこの辺で終わります。。。
雑な文章読んでくださりありがとうございました。