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1年後の独り言

(そんな日もあったなあ)

とある元 新規顧客のビルの前を通る度に思い出すことがある。

その新規顧客の担当者は、単発かつ ごく少額の仕事を私の会社に依頼してきた。
顧客の営業担当は自分なのに「定期案件じゃないし大した額でもないから」という理由で顔を見せに行くこともしない担当おじさん。
まったくの新領域の仕事にどうすればいいか右も左も分からない私がとりあえず頼ると「自分で調べろ考えろ」と面倒な素振りを一切隠さなかったおじさん上司。見て見ぬふりの最高齢おじさん。


頼る場所 なんか何処にも無かった。


なにが分からないかも分からないのに、自分で考えるもクソもねえわ。そう思いながら無我夢中で調べる。その媒体のしくみ、どのような販売方法をとっているのか。どう提案すれば顧客が分かりやすく納得してくれるのか。専門的にまとめられたサイトもさほどなく、この知識で合っているのかも手探り。


実のところ、上司もそういった事は特に調べず、感覚と経験でこなしてきたのだろう。自分が完全には知らないことを新人に教えながらこなすのは、彼にとって相当ストレスだったのだろうなと今では想像する。


彼は私に「ここが分からない、どう思うか」などと意見を聞かれると、各所に問い合わせろと言った。何でもかんでも問い合わせるわけには…と思いながらも私は素直にメールで問い合わせる。問い合わせ先の担当者も新人さんらしく、小さな事であってもとても丁寧に返してくれる。新人同士の若干ぎこちなく、ベテランからすればいささか丁寧すぎるやり取りに、上司はどうやら痺れを切らしたらしく途中から「貸してみ」と自分から問い合わせの電話をかける。メールより電話のほうが難易度は高い。そしてベテランが問いかける言葉やテンポに合わせて返答をするのは、新人にはなかなか難しく、すぐに向こうも上司にとって代わった。

そして問い合わせを続けていくと、どうやら他の媒体のようなしっかりした基盤の無い媒体であったようで、見やすい金額表も無ければ内容の問い合わせ対応にもスピード感がなく、決まったフォーマットに従って仕事がなされるような、営業職から言えば いわゆる"融通の利かない"媒体であったために、こちらの上司の苛立ちはピークに達し、徐々に電話の声を荒らげ始めた。

電話が終わる頃には何故か口論になっていて、「そんなお役所仕事じゃねえ、広告業なんて務まりませんよ!ふざけるな!」と もはや罵るような言葉で電話をガチャンと切った上司に、私は唖然としてしまった。いくら何でも、なんて事を。

もちろん後から弊社のお偉い様宛てに抗議のクレームが入ったそうだ。(上司は長年のキャリア人間という事もあり注意だけで大したお咎めも無かった。呆れた)


何故、仕事という場所で、金銭を頂いて働いている場所で、皆協力して働いている場所で、そんなみだりに自我を突き通せるのだろう。後々の仕事やキャリアに傷がつくとか考えないのだろうか。

不思議で仕方なくなるとともに、私は彼のことが、怖くなった。
彼自身に、というよりも、彼の置かれた環境にだ。自分がカッとなったからといってこんなにも誰かに迷惑を掛けるような人間がこんな歳を食ってある業界でそこそこの地位をあげている会社のそこそこ上の立場で仕事をして業績をあげて生きていること。それ自体に恐怖を覚えたのだ。


なんとも面倒で難しい話だ。
だが、私は今までいかに人間的に優れた人々のなかでのうのうと生きていたのだろう、どうすればこんな状況下でそんな行動を取ってしまうような人間に育つのだろう可哀想に、という気持ちに駆られていた。教育社会学という学問を専攻していたせいか、妙に上から目線というかなんと言うか。すぐに人を、その人物が生きてきた時代や社会的背景から透かし見ようとしてしまう…

それから急激に状況は狂っていった。
上司は面倒なことをすべて「勉強だ」といって私に任せるようになった。背中を見てはいたがいざ自分でやるとなれば、新人とベテランでは勝手が違う。仕事相手にもベテラン上司では通る要求が、新人の私では通らない。上司はそれを踏まえてくれず、何故できない?客のために値切るのは大事だろう?学生気分が抜けていないのでは?と小言を言われ続けた。
上司は若い頃まあまあ荒れた人間であったらしく、言葉遣いが時折荒々しくなる事もあって、私はよく傷つき、トイレに行くと装い個室でひとり泣くことも少なくなかった。そして次第にその回数はエスカレートし、仕事にもどんどん支障をきたしていった。
自分だけで解決できないレベルの仕事だが、上司に聞く勇気がでない。そんな仕事は手を付けるのがどんどん遅れ、期限ギリギリになって慌てて片付けに入ったり、大事な大事な金額面で失敗したり、プロジェクトの手順を滞らせてしまい仕事相手に二度手間をさせてしまったり。そのときの感情をいま考えるだけでも身震いする。
私はいつの間にか、謝ってばかりになっていた。「笑顔がいいね」とよく言われていたのに、どんな時も愛想笑いだけで、廊下を歩く時は暗い顔で常に下を向き、もちろん仕事のことも、仕事以外のことも何もかもが嫌になっていた。上司以外の周りからは「仕事ができる素直な子」とそこそこに評価されていたらしいが、上司だけは「甘えてばかり、まだまだ仕事はできない」と食い違っていたことも、私を苦しめた。


実際、イベント運営など周りに気を配る仕事は、要領さえ理解すればなかなかの能力を発揮する事ができた。会場を見に来ていたお偉い様に名指しで褒められ顔と名前を覚えてもらったほどだ。
でも、仕組みを細かく理解してざっくり分かりやすく説明するような仕事はどうも苦手だった。お金をざっくりした計算で顧客に伝えるなんて間違いがあったらどうすんだと考えてしまうからとてもじゃないが出来ないし、「言ってた事と違うじゃないか!」と後から責められるのが怖くてベテラン達からすれば信じられない程だったのだろう、一つ一つの事にとても慎重だったのだ。


そんな出来ないこと1点だけをつつき回す上司と、上司の見ていないところで大いに自分の能力を発揮できていた時を見ていた周囲との差異に、私はもう頭が働かなくなっていた。

自分の考えで行った提案にミスが見つかり(自分だけでやってみなと言ったのは上司だし確認してくれと資料を渡してもきちんと確認しなかったのも上司だと今は思っているが)、別室に呼ばれ「俺に甘え過ぎだ」「学生気分が抜けていないだろ、そんなんだから失敗するんだ」と言われ始めた頃、涙が止まらず目の前がボヤけて見えなくなり、途中で息が吸えなくなった。過呼吸のような、いわゆるパニック障害だ。


上司はギョッとして、息を吸え!吸って!ハンカチ使うか?と諭してくれた。実は彼の妻は、長年重度のうつ病を患っており、上司は毎週仕事を休んで妻の通院に付き合う程に、うつ病に対して通常より理解のある人物だったのだ。
パニックが収まってきたあと、私自身が抱えていた苦しさや難しさ、私なりの努力が伝わらずにいた事、あなたの言葉は例え私を思ったものであっても苦しかった事、このままでは仕事を続けられないと感じている事などを静かに、ゆっくりとした口調で伝えた。彼は彼なりに真摯に聞いてくれた。それだけは救いだったといえよう。あの時彼が、「分かった。社長には俺から掛け合ってみるから、今日は帰ってゆっくり休みな」と言ってくれなければ、どうやって死ねば楽に、誰にも迷惑をかけずに済むだろうか等という言葉が自然に脳内を駆け巡っていた当時の私だ。きっともっともっと酷くなっていただろう。

その後 私は総務人事との交渉、各所への仕事引き継ぎなどを軽く済ませるとすぐに休職に入った。
その2ヶ月後、まだ2年目の新人である私はあと1ヶ月で休職可能期限が切れ、このままでは退職して貰う事になる と告げられ結果として失業したわけだ。


こんなこともあったなあ。
休職から1年弱が経とうとしている今、私は以前よりかなり楽観的に考えられるようになっていた。


もともとどこかで歯車は狂っていた。
いたのだが、私自身、身体を壊す事にまでなるとは思ってもいなかった。

「大したことないよ」「もっとキツい人は居るよ」「病気?そんな大袈裟な!」

周囲のそんな言葉で頭は占められ、周囲の人間をすっかり丸々信じ込んでいた私はそれらの言葉を丸々鵜呑みにしていた。
だが実際、鵜呑みにしてもいい訳ではなかった。
なぜなら彼らから発せられたこれらの言葉は、紛れもなく彼ら自信の人生を生きる中で培われた価値観であり、それがまったく100%、私にも当てはまるとは限らないのだ。何故なら私の人生は誰一人として同じものは存在しないのだから。

今考えるとあまり私を考えた発言だとは限らない言葉もあったが、そういう時は私自身が、あくまで参考程度に、そう考える人も居るのねと捉えておけば良かったし、何なら気にせず「それでも私はしんどい!どうしたらいい?誰か!」ともがきアピールし続けて、知識を持つ人達のところまで掻き分けて行けば良かったのだ。

でも私は我慢し続けた。もはや無意識だった。

私という前提はすべて間違っていると信じ込み、「こんなに苦しいのは甘え」「この程度で音を上げるなんざ恥」と、誰に言われた訳でもないのに自分を昼夜責め立てた。
私の頭の中は常に「自分を責めたい自分」と「赦されたい自分」との戦争状態だったが、すべて私の頭の中で繰り広げられているのだから、いかに苦しくても周囲からは大して変化は感じ取れなかったようだった。そういえば最近少し元気ないな、という程度。
それで私自身も誰に相談するでもなく過ごしているものだから、そりゃ分からない人には分かるわけが無い。私の置かれた環境も良く理解されていなければ尚更。


でも体調を崩す直前にもなると、私は周りを恨んでいた。すべてが憎かった。誰にも分かって貰えない、「最近顔色良くない気がするけど大丈夫?」の声掛けひとつも無ければ、SNSで反応してほしい言葉に反応してくれる人も居ない、皆わたしを疎んじてる!みんな私が居なければいいと思ってるんだ!!!敵!!敵!!!
そんなかんじに。
(実際はそんな事も無かったはずだし誰かに似たような言葉で声をかけてもらっていたかもしれないが、残念ながら私の心に届くことはなかった。)


1番最初、上司への印象は決して悪くなかった。
むしろ愛嬌すらある彼に、親しみさえ覚えていた。

そんな、いわゆる「好き」に入る部類の人間を、ゆっくりと病に蝕まれるように嫌いになって、恨んで、殺したいほどに憎んでいくのは、本当に、苦しかった。苦しかった。

私の父親に対してもそうだが、人を殺したいほど憎むのは、恐ろしい。
こうすれば楽に殺せる?これだけ苦しめられたんだから殺しても赦されるよね?等という思考が頻繁によぎり、自分がいつ犯罪者になるかと、怯えていた。

それをすくい上げてくれた上司の行動と、今も支え続けてくれている彼氏や友人、難しいなりに理解を示そうとし支えになってくれている家族には、感謝してもしきれない。



おわり

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