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「聖なる鹿殺し」

原題:The Killing of a Sacred Deer
監督:ヨルゴス・ランティモス
製作国:イギリス・アイルランド
制作年・上映時間:2017年 121min
キャスト:コリン・ファレル、ニコール・キッドマン、バリー・コーガン

 日本のポスターでは「聖なる」と「鹿殺し」が色分けてされておりここからミスリード。本来のポスターの方が間違いようがない。
 邦題と共にこの映画の題材がギリシャ神話『アウリスのイーピゲナイア』からとなると興味が無い方には映画内容がホラーや荒唐無稽に映りかねない。この神話は神アルテミスの聖なる鹿を殺してしまったという父の罪を償うために娘が犠牲になる話。この事を踏まえて観ると映画は不条理世界というより神話の現代バージョンといっても差し障りはなくなる。

 父の死を病院側の過失とみているマーティン役バリー・コーガンの演技がダンケルクに出演していたと云われると思い出す程度に比較するとここでは群を抜く。成功している心臓外科医に対峙する彼は所属する世界から差がある。力ない10代少年の筈が執拗に纏わりつく内に次第に得体知れない不気味さを放っていく。外科医スティーブンが少年マーティンを疎ましく感じ距離を置き始めたところから悲劇の歯車が静かに回り始める。

 少年の信じ難い予言満ちた発言に沿って予告動画にもあるように医師の子らの足の機能が先ず奪われていく。それを「どうして?」「何故?」と謎解きをしようとするとその部分が現代的感覚では対処できない分、折角の映像美や映像で表現されている暗喩を見損ねる。上の写真に上げたようにガラス越しの絵、ガラスそのものが散見される。病院の無機質さは何度も映されるストレートな廊下に集約し、それに対しての自宅での植物の存在。妻の服にも植物デザインばかり。

 エスカレータから降りた印象に残るシーン。振りほどけ無い呪縛が見事に表現されている。

 映像も迫ってくる怖さを際立たせる中、不協和音に近い音楽は観る側の精神さえ蝕むような強さがこれも又ほぼ終始観客側を縛り付けてくる。観る側は視覚と聴覚双方から迫られると塞ぎようがなく逃げ場がない。

 利己的で決断力も薄い頼りない夫に対して眼科医彼女の方がはるかに一家の主然としている。彼女の方が寧ろ心臓外科医に見えるほどだ。
 洋の東西を問わず母親と息子、父親と娘の図式がここにもある。映画とはいえマーティンから(生贄と同意)一人の死が差し出されなくては家族の死が続くと脅迫というより呪縛のように云われると父親は息子と娘のどちらを択ぶか決断出来ず学校へ赴き2人の子の成績を教員に問う「どちらが優秀ですか?」有り得ないと私はこころで呟く。勿論、神話をなぞるとなるとこの行動は責める対象ではないのだが、親として情けない。
 評価が分かれると云うよりも観る人を択ぶ作品。
★★★☆

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