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「散歩する侵略者」

監督:黒沢清
製作国:日本
制作年・上映時間:2017年 129min
キャスト:松田龍平、長谷川博己、長澤まさみ、高杉真宙

 映画を観ながらこれは舞台化(演劇)も可能よね、と考えることがある。
 その条件は当然ながらセットが簡易化出来ること。
 演劇でもセット(背景)は勿論重要なことに変わりなく背景あっての演技人ではあるが、それでも映画よりもはるかに主役に意識が「集中」する。それに対し映画ではスクリーンの大きさもあり観客はある程度観る世界に自由度、つまり選択肢に広がりがある。
 今回の映画は先の逆パターン。ストーリーが舞台から飛び出した時に周りの風景がどのように空間を醸し、現実味を添えるか。

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 侵略物がお家芸なのはハリウッド、アメリカだ。まるで洗脳するかのような毎回ほぼ同じパターンで規格外のUFOで異星人が現れる。どうもpartnerもこれに毒されていたようで私がこの映画を誘った際映画タイトルに含まれる「侵略者」が邦画とミスマッチングしていたよう。*結果としては彼も終始展開を楽しんだ。
 いつもであれば印象に残ったシーンの写真を探すところなのだが、この映画が元舞台であることから察せられるよう「会話劇」。印象に残っていくのは映像よりも台詞のほうが多かった。
 侵略者の彼らは地球人の概念をいただく。映画では「なるほど。それ、もらうよ。」と目の前の人物から概念をすっぽりとお遊びのように取り去っていく。その奪い方も大掛かりな装置も場所も必要とせず「人差し指で額に触れる」ただそれだけ。
 人によって物事の捉え方が違う為に例えば同じ「仕事」の概念を奪うにしてもバリエーションがある。侵略者は納得した概念を奪いながら地球人の形を成していく。その部分を映画では展開させながら、実は愛の話だった。
 普段意識せず使う助詞。それにしても助詞「の」の『所有格』を思い出したのはいつ以来?
 キャステイングは一部鳴海妹役が目立って酷かったが他は適材適所。特に冷めた夫婦から愛を取り戻す松田龍平と長澤まさみは過剰すぎない演技だった。
★★★★
 

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