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三島由紀夫 vs 東大全共闘:余韻

 今の時代に使われている言葉とは顕かに違い三島由紀夫と東大全共闘の言葉には備えている機能が違っていた。
 現代、おそらく大半の人々が相手に届くまでの面倒さに郵便の手紙等など論外の世界と感じ、電子メールさえ文字数が多く諸作業がかったるいと件名不要のメッセージへと文字を取り巻く流れは変わる。
 そのメッセージでさえスタンプで済ませ文字を厭う今の時代から見る討論会の檀上は、うらやましい程言葉が息づいている。
 言葉を操る彼らは少なくとも相手を説き伏せるにあたって力が弱い借り物の言葉は使っていない。刃(やいば)を納得いくまで自分仕様に研ぐように、磨いた言葉をダーツの矢よろしく準備し相手を射る。
 
 その中でも、三島が使う言葉は学生らと一線を画していた。難解な言葉で惑わし言いくるめることを避け、相手を理解させること、伝わることが優先されていた。まるで、それら言葉は壇上の討論を翻訳し900番教室に集まってくれた人々の時間を無駄にしないようにとの配慮にも取れた。
 皆の共通理解を意識する三島と若さ故の傲慢さが滲む学生の言葉は似ているようで別の風合いをもつ言葉に映る。

 ペンは剣よりも強し、壇上で飛び交う言葉らは音として発した後消えるだけの運命ではなく時代の何かを変えようとする予感を孕み刺激的だった。

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