人に付けるレッテル・人から付けられたレッテル
どのような社会、或いは世界でも存在するタイトル内容。そのレッテル内容が厳しくなっていくとそれは区別ではなく差別となり偏見を生む。
レッテルをつける側は区別することで必要以上に悩まされず仕事の効率が上がると考える。あくまでもレッテルを付ける側の都合でしかない。しかし、一旦付けられたレッテルを剥がすことは付ける容易さに比較して面倒である。尚且つ、それは自身が望んだことではないことの軌道修正と腹立たしいことに違いない。
実際のところは一個人から見た像であるにも拘わらずグループ内で汎用化される。一見すると役に立ちそうだが、案外と却ってフィルターをかけられることを邪魔と感じる人はいないのか。
今回、命を預かる医療現場でさえこうした傾向があることにうんざりしての長い溜息文。
人の性格は球面と考えている。
たった一つの印象で括れるほど単純ではない。自身が立つ位置を少し変えるだけでも他の一面が見えてくる。状況を変えるだけでもきっとまた知らなかった一面を発見するだろう。
本当に人を知りたいのであれば、時間をかけ、少なくとも人の言葉を頼らずに自身で接して欲しいものだ。
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