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何らかの〈信〉を獲得するための作業を進めていきます。

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  • ドゥルーズからスピノザへ

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自己紹介に代えて 命懸けの〈信〉

自己紹介。を書こうとして、白紙の画面を前にして何を書こうかと考え、私は戸惑っています。昔から私は自己紹介が苦手でした。自己紹介を求められたとき、属性や肩書を羅列すればいいのでしょうか。 性別やら職業やらが自己について何ほどのことを語るのか! そもそも自己とは流動的なものであり、あるいは自己は様々な流れの中にあります。性別や職業も変化しえます。私は自己のなかの不変性を求めているのではありません。 逆です。自己として紹介すべき、そのような不変性などないのです。 では、経歴を

    • ルーム・エンジョイメントⅡ

      廃墟になったお部屋の真ん中で、 独り黙し、坐して待つ。    希望の到来を。    煙草の灰に口をつけて。    俺は哀歌の一節に成る。 不眠と沈黙の中で、 何も見ず、 何も聴かず、 何も嗅がず、 何も感じず、    灰を味わう。    懲らしめを味わう。    それは充分か。 死んだはずの書物の中に、 命脈を残した数行の歌を。 甦神の時が始まる。    神あるいは自然、    神あるいは宇宙、    宇宙の片隅に俺は在る。

      • ルーム・エンジョイメント

        その日、 俺のお部屋が死んだんだ。 俺が殺した。 君のお部屋と不倫したから。 俺のお部屋は死んで、 廃墟になった。 たくさんの記憶と共に、 死んだ。 俺が殺したんだ。 君のお部屋と交接してて。 俺のお部屋は死んで、    本は屍になった。 君のお部屋に屍を運んで、 甦生させる。 君のお部屋の光明の中、 読むという儀式で。 俺のお部屋は無明に沈んで、    聖書の屍だけが残された。 聖書の中に神は居て、 廃墟の中で神は死んだ。    俺が神を殺したんだ。    俺

        • ……あなたは誰ですか?

          その夏の深夜、私は小田原駅に降り立った。 私は小田原が何処にあるのか、知らなかった。 確かに、東京駅で名古屋方面に向かう電車に乗ったところまでは覚えている。葬儀の話を聞いて、実家に向かうつもりだった。はずだ。誰の葬儀だった? 電車に乗ってすぐ、私は眠ってしまった。車内アナウンスで飛び起きた勢いで電車から降りてしまった。目的地ではなかった。ここは何処だ? 小田原。小田原って何処だ? 乗っていた電車が終電だった。財布は空っぽだった。東京駅のみどりの窓口で、財布をひっくり返して、小

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        • ドゥルーズからスピノザへ
          3本

        記事

          未だ書かれざる小説のための前文

          スピノザの連載が滞っており申し訳ありません。その理由をここで書くには余裕がありません。お待ちいただいている方々、本当にごめんなさい。 先日、部屋を掃除したところ、謎のメモリを発見。なかには7年前のテクストもありました。当時、私は『欲望人』という長編小説を書こうとしていて、今では別の形になりつつあるが、一度は頓挫。ただ、バタイユやナボコフを真似て書いた「前文」はリサイクル出来そうなのでここにアップします。あくまでフィクションのためのフィクショナルな「前文」ですが、ネタとベタの

          未だ書かれざる小説のための前文

          レッテル貼りに抗して

          重要なことは既存の立場の一覧表から自分の立場に適合したものを選ぶことではなく、むしろ自分で考えた過程である。これはテクストを読むことを蔑ろにすることではない。テクストを読んで作者と対話しながら考えた結果、なんらかの主義に接近したとしても、その結果よりもその結果に至る過程が重要だということだ。 山本貴光+吉川浩満は『心脳問題』(朝日出版社)において図式的理解は「人の思考の豊かなプロセスを極端に貧困化してしまう」(p.94)として、それに警戒しつつ以下のように述べる。 「[…

          レッテル貼りに抗して

          道徳と倫理

          いよいよ予告した内容に入っていこう。『エチカ』は『倫理学』だった。倫理学とは何か、スピノザにとって倫理学とは何か、を知るために、道徳(モラル)と倫理(エチカ)の違いを理解することに努めよう。 そのために、キーワードを一つ導入しよう。それは「実験」だ。この「実験」と言う語が含まれる文章を二つ引用しておく。一つ目は國分功一郎の『スピノザ『エチカ』』(NHK出版)から、二つ目は江川隆男の『超人の倫理』から。 「個別具体的に組み合わせを考えるということは、何と何がうまく組み合うか

          道徳と倫理

          力の哲学としての『エチカ』

          前回予告した内容に入る前に、今回は一本の補助線を引いておきたい。それはサブテクストとしてドゥルーズの『スピノザ』を用いる理由ともかかわる。なぜドゥルーズか。 前回、私はスピノザが人間の本質を力として規定するところに魅力を感じると述べた。従って「力」は本連載にとって重要なキーワードとなるだろう。 もっと野心的に言えば『エチカ』を力の哲学の書として読解することができるのではないか。次回以降の議論を先取りして言えば、倫理学(エチカ)とはある種の力ないし働きのことであり、決して静態的

          力の哲学としての『エチカ』

          ドゥルーズからスピノザへ

          本連載の目的は17世紀の哲学者バルーフ・スピノザの主著『エチカ』を読解することである。読解すると言っても、私はスピノザについては初心者なので、これはスピノザ研究者による入門書のようなものにはなりえない。しかし、スピノザ哲学初心者にとって役に立つものは書けるのではないかと思っている。 本連載はスピノザ哲学をあらかじめ了解した地点からは書かれない。むしろ現在進行形でスピノザ哲学あるいは『エチカ』に入門したばかりの私の勉強の様子を書くことは、スピノザ哲学への一つの入門の仕方を示すこ

          ドゥルーズからスピノザへ